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広報こうのす かがやき 平成31年1月号 文化財展 三ツ木神社の算額等

2019/ 01/ 26
                 

 1月15日付発行の広報こうのす「かがやき」1月号。
 何気なくパラパラとページを捲っていたら7ページの、「文化財展」の文字が目に留まりました。
 〈 普段みることができない市指定文化財を寺院等から借用し、展示します。
 とき/1月25日(金)~2月6日(水)
 ところ/吹上生涯学習センター―
 内容/三ツ木神社の算額、他6点を展示予定
 問い合わせ/生涯学習課文化財担当 (内線3340) 〉


 冬水田んぼのハクチョウを見に行きがてら、展示会の初日に足を運びました。

 1ハクチョウ.J




 鴻巣市教育委員会編集・発行の『鴻巣市文化財マップ』(平成27年9月25日)の説明書きにより展示品を紹介いたします。
 なお、展示予定の7つのうち「大芦氷川神社の算額」は、諸般の事情により展示されていませんでしたので、申し添えておきます。
 
◇ 三ツ木神社の算額 (市指定/絵画)
算額とは和算家が和算の問題と解答を木版に描き、神社仏閣に奉納したものであり、絵馬の一種である。和算は、中国の影響を受け、日本で独自の発達を遂げた数学で、江戸時代に関孝和(1642-1708)らによって研究が深められた。
 この算額は関流の和算家都築利治(旧騎西町)の門人12名が明治28年(1895)に奉納したものである。 (三ツ木 三ツ木神社蔵)

 8 三ツ木神社の算額

 8-2.

 8-3.

 8-4

 8-5

 8-6




◇ 薬師堂の算額 (市指定/絵画)
 中国の影響を受け、日本で独自の発達をとげた数学を和算といい、江戸時代に関孝和らによって研究が深められた。応用技術と結び付かないために科学として認められず、一種の知的競技として地方人士の間に流行した。
 薬師堂の算額は、和算家都築利治の門人9名、世話人2名が明治23年(1890)に奉納したものである。 (上谷 薬師堂)

 7 薬師堂の算額.



◇ 八幡神社の算額 (市指定/絵画)
算額は、数学の難問の解答を公開し、自分達の流派の力を世に問うたもので、当時の知的水準高さを窺い知る貴重な資料である。
 八幡神社の算額は、中村新蔵という人物が大正4年(1915)に奉納したものである。(安養寺 八幡神社蔵)

 6 八幡神社の算額



◇ 新井稲荷神社の算額 (市指定/絵馬)
江戸時代に発達した日本独自の数学を和算という。埼玉郡種足村(旧騎西町)の関流の都築利治(1834~1908)を師とした田村金太郎(旧共和村新井)が難しい問題を解いた成果として奉納したものである。明治25年(1892)9月1日奉納。 (新井 稲荷神社蔵)

 5 新井稲荷神社の算額




◇ 伝加納姫木造 (市指定/彫刻)
徳川家の葵定紋を附した厨子の中、敷台の上に御守殿風藤松模様の打掛姿でにこやかに立つ女性は徳川家康の長女亀姫である。亀姫は、16歳の天正3年(1575)に織田信長の仲立ちで青年城主奥平信昌に嫁した。夫信昌の立身により美濃加茂城(10万石)に入り、加納姫または加納御膳と呼ばれた。子孫は後年忍城主となってこの地方の民政に尽したが、伝加納姫木像がどのような経緯で宝蔵院の所蔵となったのかは不明である。 (鎌塚 宝蔵院蔵)

 2 伝加納姫木造

 2-2伝加納姫




◇ 伊奈忠次黒色状 (市指定/古文書)
当寺は天正2年(1574)、僧玄越によって創建された。玄越は寺の経営に当たるとともに率先して周辺村々の新田開発に当たり、その功大であるとして時の関東郡代伊奈備前守忠次により慶長13年(1608)に「寺領7石及び境内除地2,670坪を賜る」のお墨付きをもって寺運興隆の基をつくった。なお、文書の宛先が永勝寺でないのは、玄越が当時寺域内に別の一宇「善勝寺」を建てて隠居し住していたためである。 (北新宿 永勝寺蔵)

 3 伊奈忠次黒印状




◇ 大芦氷川神社の算額 (市指定/絵画)
中国の影響を受け、日本で独自の発達をとげた和算は、江戸時代に大いに発達した。関孝和によって研究が深められた関流の和算の流派に当所小林吉郎勝栄一門が嘉永3年(1850)4月、大芦氷川神社に奉納したもので、一門は大芦をはじめ各村にわたる46人で、算法上達祈願を込めたものである。 (大芦 氷川神社蔵)

 4 大芦氷川神社の算額