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 NHK 1月28日放送 嵐活動休止 鴻巣の大野神社参拝

2019/ 01/ 30
                 
  埼玉県鴻巣市が舞台の2016年10月1日放送、「出没! アド街ック天国」。
  神社仏閣が第2位で、勝願寺、法要寺、そして大野神社が名を連ねていました。

 大野神社。
 1月28日、NHKをはじめとしたテレビ各局がこぞって嵐の活動休止を放送していました。
 そのNHKのニュースに何回も出てきたのが、鴻巣の大野神社でした。

 埼玉県神社庁の公式サイトで大野神社を検索したところ、御朱印が発行されている神社ということが判りました。

 1月29日、大野神社参拝。

 1-1大野神社

 1-2 二の鳥居

 1-3-3 拝殿


 平日の午前中にもかかわらず、高校女子、高校生のペアなどなど、(私を含めて)老若男女が列を作っていました。

 1-10-2行列

 1-9-2祈願.

 1-10 行列.



 おそるべし嵐。
 おそるべしNHK。

 御朱印拝受できましたが、頂いたのは印刷物です。

 11 大野神社 御朱印

 目の前で、平成三十一年一月二十九日と筆書きをしていただきました。
 お手伝いを頼んでいるのだけれど、まだ見えない・・・と、奥様がなげいていらっしゃいました。
 (ふだんは、8時~12時までが受付時間だそうですが、この日は午後3時過ぎまで詰めています。とのことでした。)
 ひととおり写真を撮って帰る際になっても、相も変わらずお一人で対応されておられました。

 参拝後、近くの手打ちそば屋の暖簾をくぐって、昼食をとりました。(「咲くら」大間3-10-13.この日は北海道産のそば粉使用.二八そば.水曜定休.)



 1-8 天皇陛下御在位三十年.
 埼玉県神社庁 奉祝 天皇陛下御御即位三十年



 1-7 ご神紋.
 大野神社 ご神紋「三つ巴」




大野神社記

 1 大野神社額.


当社は元来氷川神社で祭神は須左之男命大國主命(大巳貴命)の二神でありました。
第六十一代朱雀天皇(923-952)の御宇天慶元年正月箕田源氏の祖と傳えられる源の仕が造立した宮であります。
鎌倉末期に改築されその後文禄年中に北條の家臣道祖士満兼が再建に努力されました。
当時は梅本坊別当後本習院となり慶安5年享保6年天保9年と社殿の改修が行われたと伝えられております。
明治6年4月村社、明治8年拝殿建立、明治37年9月5日境内(現2500坪)が社地となりました。
明治40年5月8日大間地内の無格社”天満社、淺間社、八幡社、稲荷社、諏訪社”を合祀祭、7月18日大字北中野地内の無格社”津門社、天満社、須賀社、三峰社”を合祀、大間の(大)と中野の(野)をとって大野神社と社名を定め、明治41年4月記念の合祀祭が行われました。
明治44年1月7日神饌幣きん帛供進社に指定され神格神威益々高まり、敬神の心は深まり地区住民のみなさんの心の拠り所となりました。
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 1-6 拝殿 本殿
 大野神社 拝殿 本殿 (横位置から撮影)



大野神社 御由緒

御縁起(歴史)
「風土記稿」大間村の頃に 「氷川杜 村の鎮守なり、別当を本習院と云」 と載るように、当社は元来氷川神社と称していました。 それを大野神社と改称したのは、 明治40年7月18日のことで、 同日に大字北中野字津門の村社津門社を合祀したことに伴うものでありました。 この氷川神社の由緒については、別当本習院の後裔(こうえい)で、 神仏分離後は復職して神職に転じた吉田家が所蔵する 社記「大間氷川神縁起」に詳しく、 その要点をまとめると次のようになります。
当社は、天慶元年(938年)に、嵯峨天皇の末流の渡部仕(つかう)が大巳貴命の託宣によってこの地に社(やしろ)を造営したことに始まるもので、長元3年(1030年)には源頼義が平忠常の謀反を鎮めるために戦いを何度も挑んだが勝利を得られなかったため、当社に獅子頭を掛けて願成ることを祈ったといいます。
また、神力によって、天永元年(1110年)に沼(現在の逆川)に沈んでいた阿弥陀像を引き揚げ、正嘉年中(1257年~1259年)の干ばつには雨を降らせ、延元2年(1337年)には疫病を退散させるなど霊験あらたかであったが戦乱によって荒廃しました。
社記の記述はここまでですが、その後、村の再興と供に神社も再建されたようであり、「明細帳」には天保年中(1830年から1844年)及び明治5年には社殿が老朽化したため、再建が行われました。

年中行事
1月1日 元旦祭
2月1日 鯉祭
2月18日 祈念祭
7月吉日 名越祓
9月18日 例大祭
11月23日 新嘗祭 新嘗祭
12月吉日 大祓