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渡邊紗鷗の書  伊東参州 

2019/ 12/ 06
                 
 東海紗鷗の書  
    伊東参州

 3 足下雲生 渡邊紗鷗
 (「足下雲生」)


 渡邊紗鷗は名古屋の産である。そのため落款には紗鷗という号の上に東海とか、東海居士を冠して書くことが多い。
 郷土の人であるという親近感だけではなく、私は紗鷗の書が好きである。明治以降の有名書家の仲間にあっても燦然と光彩を放っている。いうなれば実力者である。

 2 虎 渡邊紗
 (「虎」)


 はじめ鳴鶴に師事し、鳴鶴の紹介で、悟竹の教を受けて開眼され、磨きがかけられて一家をなした。
 晩年、鳴鶴から遠ざかったため、鳴鶴をして「紗鷗は書はよいが、人物はいけない」と謂わしめたと伝えられるが、私には書から受ける感じからいえば、鳴鶴の言がどうしても信じられない。感情的言辞ではあるまいか。果して、真底背信的な人間なのであろうか?
  紗鷗の書に、そのような人間的醜悪の面が、いや濁りが感じられないのは私の眼力の不足なのだろうか。

 4 賛 渡邊紗鷗

 (「賛
 従來樵谷弄奇藝、
 花火線香技入神。
 體以車輪手如電、
 袖珍會上珍中珍。
  東海紗鷗題 」)




 前にも一度書いたことがあるが、終戦後、神田の飯島書店で、紗鷗の遺作ならびに遺愛の品々が多数委託販売されたことがあった。その際私は、遺作の数点と、遺愛品の大半を入手して小躍りしたことがある。それから数年後、あの時、遺作全部を購入しておけばよかったのにと、ひどく後悔したことがある。
 少々経済不如意の時でも、専門の書籍や、書画は、欲しいと思ったら無理算段しても入手しないと、毎日必ずと云ってよい程悔まれるものである。

 5-1東海居士 紗鷗 録樂志論

 5-3東海居士 紗鷗 録樂志論5-2東海居士 紗鷗 録楽志論.


 機会あるごとに私は紗鷗の作品を見たし、鑑賞しようと努力もした。紗鷗の書に対する執念の強さが判ったような気もする。
 鳴鶴に師事すれば鳴鶴流に、悟竹に指導を受ければ全く悟竹流に書いた一時期もあったようだ。

 自我を抑制して精進する態度は、尊くもあり、異状と云ってもよい。驚嘆の外はない。人に知られない努力もしたろう。
 晩年は、自己の書風を樹立し得た。やはり天分が豊かであったようである。

 1-1 紗鷗書   
( 快瀉蒼崖一道泉、
 白龍飛下蔚藍天。
 空山有此眞奇觀、
 倚杖來看思凛然。
     紗鷗書   )
 



 若くして他界したが、その書業を追慕崇敬する学書者が漸増する点など、どこか川谷尚亭と共通する。不思議である。
 このような鬼才は、もっと長命して欲しいものだが天は無情である。

 6-1觸目會心  渡邊紗鷗

6-2觸目會心  渡邊紗鷗.


 伝統をふまえて、しかも近代的感覚と、滋味豊かな書線で、造形する新鮮さは、実に魅力的である。芭蕉のいう不易と流行とを体現し得た能書ともいえよう。

 掲載の作品は、二年ほど前、神保町の飯島書店で同時に入手したものである。小品の方だけにしようと思ったが、前車の轍を踏むのを恐れて、前書き(若書きの意)の方の半切作品をも無理して買うことにした。これは、四十歳前後の作だろうと推定するがどうだろうか。
 まだ技術的には、不満足な点もあるが、芸術的天分の豊富さがほのみえて、何とも羨ましい限りである。
 小品の方は最晩年のもので紗鷗調とも名付くべき佳品である。
 中央に余白の多いのは、書画帖に書かれたものだからである。
 肉筆からは、水もしたたるような色香、いやどうも失礼、えもいわれぬ墨香が感受されて、眠れる私の書魂を誘発するに充分である。

 釈文、
置屋乱山荒竹中、 諭心此境与誰同
期人不至谿橋遠  手裡残書読欲終
   東海居士紗鷗書

画帖小品作、
 軽舸迎仙客 悠々湖上来
 当軒体尊酒 四面芙蓉開
   東海紗鷗書


 (全日本書芸文化院発行『書宗』  四十年九月号より)