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大野神社 令和二年正月御朱印 龍・鳳凰の彫刻

2020/ 01/ 18
                 
 御朱印の子年の筆の爽やかさ女性宮司の微笑み素敵

 大野神社 御朱印


 拝殿に、龍の彫刻、鳳凰の彫刻をみることができます。

 20-1大野神社 龍の彫り物

 20-2大野神社 鳳凰の彫り物

  (糠田氷川神社にも、龍と鳳凰が刻まれています)

 大野神社記〈※:註〉によりますと、明治40年5月8日、氷川神社改め大野神社と定めたとあります。

 20-5大野神社 額

 大野神社の兼社に、滝馬室氷川神社があります。
氷川神社の的祭があった12日、本社の大野神社にお正月の参拝をしました。

 20-4大野神社 叶 大願成就

 「嵐」が、2020年末をもって嵐のグループとしての活動を休止する と、発表したのが2019年1月。
あっというまに、今から1年前のこととなりました。
 グループリーダーは、ご存じ大野智さん。2020年11月26日で満40歳となります。
 智さんの誕生日は平日の木曜日ですが、ここ、鴻巣、大野神社には、当日、どのくらいの人が参詣されるのでしょうか。

 20-7大野神社 横から

 2019年の年明け以来、俄然人気スポットなった大野神社は、ひきもきらなく老若男女がおとずれるようになりました。


 


〈※註:大野神社記

 20-8大野神社 鳥居

 
当社は元来氷川神社で祭神は須左之男命大國主命(大巳貴命)の二神でありました。
第六十一代朱雀天皇(923-952)の御宇天慶元年正月箕田源氏の祖と傳えられる源の仕が造立した宮であります。
鎌倉末期に改築されその後文禄年中に北條の家臣道祖士満兼が再建に努力されました。
当時は梅本坊別当後本習院となり慶安5年享保6年天保9年と社殿の改修が行われたと伝えられております。
明治6年4月村社、明治8年拝殿建立、明治37年9月5日境内(現2500坪)が社地となりました。
明治40年5月8日大間地内の無格社”天満社、淺間社、八幡社、稲荷社、諏訪社”を合祀祭、7月18日大字北中野地内の無格社”津門社、天満社、須賀社、三峰社”を合祀、大間の(大)と中野の(野)をとって大野神社と社名を定め、明治41年4月記念の合祀祭が行われました。
明治44年1月7日神饌幣きん帛供進社に指定され神格神威益々高まり、敬神の心は深まり地区住民のみなさんの心の拠り所となりました。〉
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 大野神社 御由緒

御縁起(歴史)
「風土記稿」大間村の頃に 「氷川杜 村の鎮守なり、別当を本習院と云」 と載るように、当社は元来氷川神社と称していました。 それを大野神社と改称したのは、 明治40年7月18日のことで、 同日に大字北中野字津門の村社津門社を合祀したことに伴うものでありました。 この氷川神社の由緒については、別当本習院の後裔(こうえい)で、 神仏分離後は復職して神職に転じた吉田家が所蔵する 社記「大間氷川神縁起」に詳しく、 その要点をまとめると次のようになります。
当社は、天慶元年(938年)に、嵯峨天皇の末流の渡部仕(つかう)が大巳貴命の託宣によってこの地に社(やしろ)を造営したことに始まるもので、長元3年(1030年)には源頼義が平忠常の謀反を鎮めるために戦いを何度も挑んだが勝利を得られなかったため、当社に獅子頭を掛けて願成ることを祈ったといいます。
また、神力によって、天永元年(1110年)に沼(現在の逆川)に沈んでいた阿弥陀像を引き揚げ、正嘉年中(1257年~1259年)の干ばつには雨を降らせ、延元2年(1337年)には疫病を退散させるなど霊験あらたかであったが戦乱によって荒廃しました。
社記の記述はここまでですが、その後、村の再興と供に神社も再建されたようであり、「明細帳」には天保年中(1830年から1844年)及び明治5年には社殿が老朽化したため、再建が行われました。

年中行事
1月1日 元旦祭
2月1日 鯉祭
2月18日 祈念祭
7月吉日 名越祓
9月18日 例大祭
11月23日 新嘗祭 新嘗祭
12月吉日 大祓


 大野神社

 20-3大野神社 拝殿

所在地     埼玉県鴻巣市大間2-11-26
TEL       048-596-5145.
社務所直通 080-7354-0555(午前9:00~午後4:00)
最寄駅     JR高崎線 鴻巣駅西口 徒歩15分
最寄IC     首都圏中央連絡道 桶川加納IC、関越自動車道 東松山IC
駐車場     平日/7台、土・日・祝/21台