日向子さんとソバ
2014/ 11/ 21日向子さんとソバ
杉浦日向子とソ連(ソバ好き連)編著の『もっと ソバ屋で憩う』は、1997年に上梓された『ソバ屋で憩う』の、三回目のお色直し本です。最初の定本では七十二軒収録、1999年に全面改定した文庫版では百一軒を、そしてあらためての新装版では百二十三軒のソバ屋が案内されています。

(ギンナン)
日向子さんが、「――新・文庫版あとがき――」に、「・・・これまでに、たくさんのご意見をちょうだいしました。なかでも多かったのは、[掲載店が少ない]と、[誉めてばっかりで評論になってない]でした。それもそのはずです。『ソバ屋で憩う』は、ソバ屋への恋文として書かれたものだからです。恋文を、当たるを幸いに片っ端から書き散らかすのは不節操、もとより惚れた上の文なれば誉めて当然。[あそこのソバ、食べたことある?]という、抜け駆けの訳知り顔とは無縁の、恋する純情ソバ屋本なのです。 ・・・ ・・・ 昔から、身近にあり町と人々のくらしを見守りつづけ、そして近年、ますます多彩に進化するソバ屋さんは、無限の可能性を秘めています。いつもおそばに憩いのテーブルを。どうぞ、ずっと通いたいソバ屋さんに、巡り逢ってください。」と、言葉を結んでいます。

(落日の秋)
日向子さんはお江戸で生まれ育ちました。『昼の酒』のコラムで、「東京のソバ屋のいいところは、昼下がり。女ひとりふらりと入って、席に着くや開口一番、「お酒冷やで一本」といっても、「ハーイ」と、しごく当たり前に、つきだしと徳利が気持ち良く目前にあらわれることだ。」と述べられています。

(お山はもう雪化粧)
ソバの友がお酒であり、お酒の友というのが、日向子さんのソバというのが全編にわたって伝わってきます。
ソバ好きにもいろいろあると思います。下戸の私は私ということにしています。

(秋の信州:姨捨SAより)
話変わって、俳句の話。
小林一茶は、信州黒姫山の麓で生まれましたが、先日の11月19日、「小林一茶188回忌 全国俳句大会」が、彼の生まれ故郷信濃町の一茶記念館で開催されました。
一茶は、蕎麦をうたいこんだ句がたくさんあります。彼は江戸時代の人ですが、同じ江戸時代の有名な俳人の松尾芭蕉や、与謝蕪村も蕎麦の句を詠んでいます。
江戸の時代に、どんな句を残しているのでしょうか。「蕎麦」も「蕎麦の花」も秋の季語です。(※「赤蜻蛉」も秋の季語の代表ですね!)
蕎麦は種を蒔いてから収穫するまでの期間が極めて早いことで知られています。
ある人の「ソバの日記より」から、蕎麦の成長記録を追ってみることにします。:①8月16日種蒔き.②9月4日(播種より19日目花が咲き始める。).③9月9日五分咲き.④9月13日満開.⑤10月2日既に収穫できるものもちらほら.⑥10月26日収穫.干す.⑦11月8日干し終了。☆花が満開になってから1か月と2週間で実が収穫できるという、その速さには実に驚きました。

(安曇野風景)
《・小林一茶(信濃国水内郡柏原村生れ〈長野県上水内郡信濃町〉.宝暦13年5月5日〈1763年6月15日〉―文政10年11月19日〈1828年1月5日〉).
・松尾芭蕉(伊賀国上野村生れ〈三重県伊賀市〉.寛永21年 ?月 ?日〈1644年?月?日〉―元禄7年10月12日〈1694年11月28日〉).
・与謝蕪村(摂津国生れ〈大阪府大阪市〉.享保元年 ?月 ?日〈1716年 ?月 ?日〉―天明3年12月25日(1784年1月17日〉)

(紅葉)
≪小林一茶≫
更しなの蕎麦の主や小夜砧
そば所と人はいふ也赤蜻蛉
そば時や月の信濃の善光寺
赤椀に龍も出そうなそば湯かな
そりや寝鐘そりやそば湯ぞよそば湯ぞよ
山鼻やそばの白さもぞっとする
しなの路やそばの白さもぞっとする
そば咲やその白さゝへぞっとする
蕎麦国のたんを切りつつ月見哉
そば所のたんを切りつつ月見かな
夕山やそば切色のはつ時雨
国がらや田にも咲かせるそばの花
江戸店や初そばがきに袴客
草のとや初そばがきをねだる客
かげろうやそば屋が前の箸の山
そば屋には箸の山あり雲の峰

(秋のしじま)
≪松尾芭蕉≫
三日月に地はおぼろなり蕎麦の花
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」

(秋の日)
≪与謝蕪村≫
残月やよしのの里のそばの花
根に帰る花やよしののそば畠
鬼すだく戸隠のふもとそばの花
新蕎麦やむぐらの宿の根来椀
しんそばや根来の椀に盛来(もりきたる)

(秋の佇まい)
- 関連記事
-
- 杉浦日向子さん 間もなく56歳の誕生日
- 日向子さんとソバ
- 隠居の日向ぼっこ
スポンサーサイト
コメント