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何日君再來 李香蘭そして高倉健

2014/ 11/ 27
                 

何日君再來 (Hérì jūn zàilái)   



 高倉健さんが去る11月10日に、83歳で亡くなられました。

 9月7日には、李香蘭の名前で一世を風靡した山口淑子さんが、94歳でお亡くなりになっています。
 私は、お二人の映画をスクリーン上でみたことはありませんが、ともに銀幕の大スターだったという認識は持ち合わせています。
 (テレビ画像では、当時の映画の幾本かはそれぞれご対面かなっています。この11月23日のテレビ朝日系列の21:00からの日曜洋画劇場は「あなたへ」でしたね。)
 
 健さんの最後の映画出演作が「あなたへ」。
 「生まれ故郷の海に散骨してほしい」という、亡くなった妻から届いた絵手紙。
島倉英二は、その想いと真意を知るために、故郷へ向けて一人旅を始めます。
富山からの車での旅は、飛騨高山、京都、竹田城、瀬戸内、下関、北九州市門司区、そして洋子の故郷である長崎県平戸の漁港・薄香へと続きます。



 李香蘭の「何日君再來」のレコードを、以前から探していました。
 日本コロンビアから、昭和15年(1940年)にレコード発売されていますが、これは絶盤となっています。終戦後、本人の強い意志により、廃盤となったと聞き及んでいました。
 渡辺はま子の昭和14年(1939年)盤は、その後の復刻版などで、手を伸ばせば届くところにありましたが、李香蘭のそれは、さきほど述べたいきさつもあり、ずーっと姿を現わしていませんでした。

 そもそも、この「何日君再來〈Hérì jūn zàilái〉」は、1937年に上海で上映された映画「三星伴月」の挿入歌で、当時の人気歌手、 周璇が歌ったことにより、空前のヒットとなっています。作詞は貝林(黄 嘉謨)、作曲は晏如(劉雪庵)。
 

 なお、当時の日本語での曲名は、渡辺はま子の歌によるものは「いつの日君来るや」であり、李香蘭の歌によるものは「いつの日君また帰る」でした。
〈日本語歌詞(訳詞)は長田(おさだ)恒雄〉



 『何日君再來』
コロンビア音掲シリーズ 山口淑子(李香蘭) COCA_T1506 を、偶々見つけました。
 流れてくる音声は時代を思わざるを得ませんが、当時の彼女の歌声を聴くことができたということで、満足したとこの場では、言っておくことにします。
 (この盤は、歌詞の一番を最初に中国語で、その後に日本語で歌っています。)


 ジュディ・オング(翁倩玉)、そして、テレサ・テン(鄧麗君)の「何日君再來」の歌声は、採音媒体の音声の質の良さと合わせもって、いつ聴いても、心に染みこんできます。
 

 
好花不常開 好景不常在
愁堆解笑眉 涙洒相思帯
今宵離別後  何日君再来 
喝完了這杯 請進点小菜
人生難得幾回酔 不歓更何待

「来来来、喝完了這杯再説」
 
今宵離別後 何日君再来

忘れられない、あの面影よ
ともしび揺れる、この霧の中
二人並んで、寄り添いながら
囁きも、微笑みも
楽しく融け合い過ごしたあの日
ああ愛(いと)し君、何日(いつ)また帰る
何日君再来
 
忘れられない、あの日の頃よ
そよ風かおる、この並木路
肩を並べて、二人きりで
喜びも、悲しみも
うちあけ慰め過ごしたあの日
ああ愛(いと)し君、何日(いつ)また帰る
何日君再来
 
忘れられない、思い出ばかり
別れて今は、この並木路
胸に浮ぶは、君のおもかげ
思い出を、抱きしめて
ひたすら待つ身の侘しいこの日
ああ愛(いと)し君、何日(いつ)また帰る
何日君再来



山口淑子(李香蘭.本名:大鷹淑子)
1920年(大正9年)2月12日〈中国奉天生れ〉-2014年(平成26年)9月7日〈94歳心不全で死去〉
・叙正四位
・1993年勲二等宝冠章受章

高倉健(本名:小田剛一)
1931年(昭和6年)2月16日〈福岡県生れ〉-2014年(平成26年)11月10日〈83歳悪性リンパ腫で死去〉
・2013年文化勲章受章
・1998年紫綬褒章受章
・生前最後の主演作映画が「あなたへ」。東宝系で2012年封切られました。


 「何日君再来物語」が、河出書房新社より1988年2月に出版されています。作者は、中薗栄助。
 「何日君再来」の歌詞は4番までありますが、作者が訳した1番の歌詞は次のようになっています。

よき花常には咲かず よき運命常には有らず
愁い重なれど面に笑み浮かべ 涙溢れてひかれる想い濡らす
今宵別れてのち いつの日君また帰る
乾しませこの杯を 召しませこの小皿
人生幾度酔う日有らんや ためろうことなく歓つくさ
(さささ、この杯乾して、いまひとたび語らいましょう=台詞)
今宵別れてのち いつの日君また帰る

※中薗による4番の訳詞は、「立ちて陽閑畳を唄い  幾度か白玉の別杯をあげ  ・・・」となっていて、彼はこの詞(ことば)を、王維の有名な詩、「君ニ勧ム  更ニ尽セ一杯ノ酒  西ノ方陽閉ヲ出ズレバ  故人 無カラン ・・・」を織り込んでいるとしています。
  この「何日君再來」の歌がその後、数奇な運命を辿ることになったその根源を、中薗栄助は紐解いていくことになるのですが。

 あのマレーネ・ディートリッヒが歌った「リリー・マルレーン」も、また同様な運命を辿っていくことになります。






















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