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幻想百物語埼玉 四年に一度の奇祭 腰折雨乞

2015/ 04/ 04
                 
 埼玉の深い魅力を探る「幻想百物語埼玉」は三部作となっていて、「腰折雨乞」は、「開運編」に載っています。(他の二編は、「歴史編」と「妖怪編」。)
 次はいつ頃行われるのだろうと思って、検索してみましたら【『腰折雨乞』が日本一に!!】がヒットしました。
 来年の8月7日(日)に開かれることが判りました。

⑪白い花


《埼玉県鶴ヶ島市公式サイト》
『脚折雨乞』が日本一に!!
~第17回ふるさとイベント大賞「大賞(総務大臣表彰)」を受賞!~

財団法人地域活性化センターが主催する「第17回ふるさとイベント大賞」で、応募総数169件の中から『脚折雨乞』が大賞(総務大臣表彰)を受賞しました。
県内では過去に部門賞も受賞がない中で、初めての最高賞である大賞を獲得しました。


《「ふるさとイベント大賞」とは》
ふるさとイベント大賞は、全国各地で数多く開催されている地域の活力を生み出すイベントを表彰し、全国に向けて紹介することによって、ふるさとイベントのさらなる発展を応援することを目的に設けられた賞です。
今回で17回目を迎え、第16回までに119の個性豊かなイベントが表彰されてきました。

《第17回受賞イベント》
◇大賞
脚折雨乞(埼玉県鶴ヶ島市)
◇優秀賞
あさひ砂の彫刻美術展2012~笑顔をここから~(千葉県旭市)
◇優秀賞
松江水燈路(島根県松江市)
◇奨励賞
アーティスティック・ムーブメント・イン・トヤマ2012(富山県高岡市)
◇奨励賞
湯田温泉スリッパ卓球大会(山口県山口市)
◇奨励賞
さかいで塩まつり(香川県坂出市)

《「腰折雨乞」評価のポイント》(受賞式配布資料より)
地域の連帯感の低下に危機感をもった住民が、江戸時代から続いていたが都市化の影響で一度途絶えていた伝統行事を復活させたイベントである。
材料となる麦わらの栽培から龍神の製作まで、全て新旧住民が一緒に行っており、人々の絆を育み、郷土意識を高める行事となっている。

《脚折雨乞の概要》
『脚折雨乞』は江戸時代を起源とする伝統行事で、竹と藁で作られた長さ36m、重さ3tもの巨大な龍神が市内を練り歩きます。脚折地区白鬚神社を出発した龍神は雷電池(かんだちがいけ)までのおよそ2kmを渡御し、池の中で大暴れした後、その場で解体されます。これは池を汚すことで神を怒らせ、雨を降らせるためと言われています。
この雨乞行事も1964年には一度途絶えてしまいますが、地元住民の熱い想いから1976年に復活し、その後は4年に1度実施されています。次回は2016年8月7日に予定されています。

②白い花


《受賞コメント》
「脚折雨乞行事保存会会長 平野行男氏」
この伝統行事の保存、継承には、大変に多くの方々が関わっています。埼玉県や鶴ヶ島市などの関係機関をはじめ、行事を担ってくださった地域住民のご支援、ご協力があればこその大賞受賞です。心より感謝申し上げます。
この受賞を力として、先人たちの思いをしっかりと受け継いで、次の世代へとバトンタッチしていきたいと思います。
「藤縄善朗市長」
埼玉県内で初めての大賞受賞は、鶴ケ島市として大変に名誉なことです。脚折雨乞行事保存会をはじめとする、地域のみなさんの日頃の努力の賜物です。この伝統行事は、人々が自然を敬いながら、お互いに助け合って暮らしていくことの大切さを教えてくれています。今回の受賞をきっかけに、市民の地域への愛着がさらにますことと思います。

《受賞報告》
大賞受賞を受け、平成25年3月11日、脚折雨乞行事保存会の皆様が市長・副市長・教育長を訪れ、受賞の報告を行いました。翌12日には、市長・教育長と共に埼玉県知事上田清司氏を訪ね、埼玉県初の受賞を共に喜び合いました。



《脚折雨乞いの伝承》
「昔から日照りのとき、脚折の雷電池(かんだちがいけ)のほとりにある脚折雷電社(らいでんしゃ)の前で雨乞いを祈願すると、必ず雨が降った。特に安永・天明(1772~1789)の頃には、その効験はあらたかで近隣の人の知るところであった。 しかし、天保(1830~1844)の頃には、いくら雨を祈ってもほとんどおしるしがなくなってしまった。
それは、雷電池には昔、大蛇がすんでいたが、寛永(1624~1644)の頃、この池を縮めて田としたため、大蛇はいつしか上州板倉(群馬県板倉町)にある雷電の池に移ってしまった。そのため雨乞いをしても、雨が降らなかった。」

《明治7年の記録》
▲明治8年頃『村誌編輯(そんしへんしゅう)』
明治7年(1874)夏の干ばつの時、「畑の作物が枯れそうなので、近隣の人が脚折雷電社で雨乞いをしたが、そのしるしがなかった。そこで脚折のムラ人が協議して、板倉雷電社に行き、神官に一晩中降雨を祈願してもらい、翌日、傍らの池の水を竹筒に入れて持ち帰った。
脚折雷電社で、白鬚神社の神官が降雨祈願をしていたが、そこに板倉の水が到着したとたん、快晴の空がたちまち曇りだし、まもなく雨が降った。」

《脚折雨乞の復活》
▲昭和22年当時の雨乞の様子
脚折雨乞は、行事の担い手である専業農家の減少など社会環境の変化により、昭和39年(1964)を最後に一度途絶えてしまいます。
しかし、昭和50年(1975)に、雨乞の持つ地域の一体感を再認識した地元脚折地区住民が、「脚折雨乞行事保存会」を結成し、翌昭和51年、脚折雨乞を復活させました。 この年に脚折雨乞は、「鶴ヶ島町指定無形文化財」に指定されました。
現在では、4年に一度、オリンピック開催年に行われています。次回は平成28年8月7日に行われます。(追補:記載資料古いため1サイクル修正しました。)

《文献資料から見る脚折雨乞》
▲申年村方小入用帳
脚折での雨乞いに関して最も古い資料は、江戸時代の文化10年(1813)に記された「申年村方小入用帳(さるどしむらかたこにゅうようちょう)」で、その中に「壱貫四百文 右是ハ雨乞入用ニ御座候」と出てくるのが初見です。その後、弘化5年(1848)、文久2年(1862)の史料に、雨乞いの経費に関する記述が出てきます。【田中家文書】

現在の脚折雨乞の姿に近い記述としては、明治10年(1877)の名主田中佐平太の日記の中で、「・・・雨乞に村中一同鎮守へ集まり 板倉御水十時頃来る 午後雷電社へ行き蛇を池中に入れ祈る」とあり、初めて「蛇」が文献に登場します。【田中家文書】
その後、脚折雨乞は、「雨乞諸入費記載帳」、その他史料の記述から、明治26年(1893)、明治27年(1894)、明治36年(1903)、昭和4年(1929)、昭和7年(1932)、昭和8年(1933)、昭和9年(1934)、昭和22年(1947)、昭和24年(1949)、昭和39年(1964)に行われたことが確認されています。 その史料の中では、「大蛇」、「蛇体」と記され、現在(注)の「龍蛇」、「龍神」の名称は使われてなく、脚折雨乞行事保存会設立前後からの呼称であることがわかります。
(注)昭和4年の「雨乞諸入費記載帳」には、「蚊龍(こうりゅう)」と伝説上の動物の名が、一箇所記載記述されています。


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