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濱田庄司作陶の湯飲み茶碗

2015/ 06/ 28
                 



 父が、「ただいま」と夜の玄関口でいっています。
 「お帰りなさい」と、私。

 家に入って早速鞄から取り出したのが、湯飲み茶わんでした。
 栃木に単身赴任していた父の手土産が、濱田庄司作陶の一品でした。
 
 父は、夕餉お酒を飲みながら、濱田庄司を益子の家に訪ねた折のことを、私たちにこと細かに話し始めます。
 この日は、いつになくにこやかで嬉しそうな顔をしていた父でした。

 翌日から、私は、この湯飲み茶わんを使うことになりました。

 
 彼の日から幾星霜、大切に仕舞い込んでいた湯飲み茶碗が、食器棚の一番上の一番右隅奥から顔を出しました。
 すっかり忘れていたあの当時の、父の元気な姿を思い出しています。
 父が、あちこちの野や山で採って来た数百種の山野草は、前橋の家の庭の春夏秋冬を彩っていました。
 その中には、日本橋三越の屋上ガーデンから贖った草花や、山野草を趣味とする人たちとの分け合いもありましたけれど、だいたいは自らが山に分け入って採取したものや、谷間に流れそそぐせせらぎの縁などで見つけた山の草、野の草でした。

 栃木と東京と山梨の時代が、父の単身赴任の時代でした。
 長野と群馬では、家族と一緒の生活でした。
 (そういえば、父の最後の東京勤務の時は、私の学生時代と重なり、浜田山と永福町の時は、一緒に暮らしました。)

 などなど、走馬灯のように父のことがあれこれ思い起こされます。


 父が、濱田庄司の人となりを私たち子どもに話したあの日から、どのくらいの年月が経ったのでしょうか。
 昨年数度にわたって、益子の町を訪れることとなりました。
 「公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館」など、濱田庄司に所縁のある場所にも足を運ぶことが出来ました。


濱田庄司:1894年(明治27年)12月9日-1978年(昭和53年)1月5日
 ・「濱田庄司記念益子参考館」の公式サイトによる「生まれた場所」は「東京都」となっていますが、「川崎市高津区」や「公益財団法人 日本民藝館」(濱田庄司は二代目館長)の公式サイト、及び「美術人名辞典」、「ウィキペディア」では、神奈川県川崎市となっています。
 ・1955年(昭和30年)2月15日:
   第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)
 ・1968年(昭和43年):
   陶芸家として三人目となる文化勲章を受ける。
 ・1978年(昭和53年):
   益子町にて没す。
 ・川崎市高津区宗隆寺のお墓で永遠の眠りについています。



湯飲み茶碗 濱田庄司作陶 ①
 濱田庄司作陶 湯飲み茶碗


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