FC2ブログ
        

  安曇野に伝わる八面大王のおはなし

2015/ 07/ 01
                 



  [魏石鬼の窟(ぎしきのいわや)  Taverna LAPUTAから徒歩10分]


 昔、有明山の「魏石鬼(ぎしき)の窟(いわや)」に八面大王(はちめんだいおう)と名乗り魔力を使い、乱暴をはたらいて村人達を困らせている鬼がいました。

 村人の一人に弥助という若者が母親と暮らしていました。
 ある年の暮れ、弥助は町に買い物に出かけたところ、ヤマドリが罠にかかっているのを見つけ、持っていたお金を罠に結わえるのと引き換えにヤマドリを放ってやりました。家に帰って母親にわけを話すと、「とても良い事をしましたね」と喜びました。
 それから3日後の大晦日、道に迷った美しい娘が母子の家の戸をたたきました。母子が娘を家に上げて介抱したのがきっかけとなり、二人はすっかり気に入り、弥助は娘をお嫁さんにしました。それから弥助は前にもましてよく働くようになりました。

 そのころ、都から坂上田村麻呂という将軍が蝦夷を征伐にいく途中、八面大王のことを聞きつけ、大勢の家来を引き連れて大王の退治にとりかかりはじめました。しかし、魔力を持つ大王は手ごわい相手で矢が当たってもはねかえしてしまい、どうしても倒すことができません。観音堂で一心にお祈りをしたところ、観音様が夢に現れ「33節のヤマドリの尾を矢にすれば、きっと退治することができる」と告げました。
 将軍は信濃の国中にそのヤマドリの尾を探すように命令しましたがどこにも見つけることができませんでした。弥助も探し出して褒美をもらい、大事な嫁に着物でも買ってやろうとしましたがやはり見つけることができません。失望している弥助からこの話を聞いた嫁は置き手紙を残して消えてしまいます。手紙には「三年間楽しい日々でした。わたしの尾を八面大王の鬼退冶に使って下さい。やっとこれで恩返しができます。」と書いてありました。娘は以前、弥助が助けたヤマドリだったのです。
 弥助は丹念に矢を作り、将軍に差し出しました。その矢で射抜かれた大王は退治されました。大王の死体は、そのまま葬ればまたよみがえるので、5体を切り離し別々の場所に埋めました。
里も平和になり、弥助も長者になれたのですが、嫁を失った弥助は毎日、日暮れになると悲しみ、嫁の帰ってくるのを毎日毎日待っていたそうな。

                                  
 安曇野にはこのお話にまつわる地名が幾つかあります。
弥助が矢を作った所を「矢村」。大王の耳を埋めた所が「耳塚」。足を埋めた所が「立足」。首を埋めたのが松本筑摩神社。胴体を埋めたのが御法田の大王農場といわれています。戦いがあった沢という事で合戦沢と名付けられ、そこにあるのが合戦小屋で山登りの基地として現在も使われています。また八面大王の家来に常念坊という坊さんがいて、八面大王が倒された時、一つの山に庵を結び八面大王をとむらって念仏を上げたそうです。常に念仏が聞える山、これが安曇野に高くそびえる常念岳です。


 八面大王のお話には諸説あり、こんな説もあります。八面大王は、悪ではないというお話です。

 全国統一を目指す大和朝廷が、東北に侵略するにあたり、信濃の国を足がかりに 沢山の貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめていました。 
 そんな住民を見るに見かねて安曇野の里に住んでいた八面大王(やめのおおきみ)は立ち上 がり、坂上田村麻呂の率いる軍と一歩もひけをとることなく戦いました。
 最後は山鳥の尾で作った矢にあたり倒れてしまいました。
八面大王の力を恐れた坂上田村麻呂は5体を切り離し別々の場所に埋めました。

いずれにしても、鬼と呼ばれた人たちと大和朝廷軍がこの地で争ったそうです。



関連記事
スポンサーサイト



                 

コメント