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中原中也記念館

2016/ 05/ 26
                 
 中原中也の詩と出会ったのが、高校一年の国語の教科書でした。
 「参考」と、右上隅に書かれています。その詩は教材としては取り扱われていないという意味でした。
 私にとっては、他のどの詩よりも強烈な印象をもった詩でした。それ以来、新たに刊行された詩集や、彼に関する書籍を手に取るようになりました。神田の古本屋街で買い求めた中原中也詩集も手元に残っています。

 あれから五十有余年、ようやくにして中也生誕の地を訪れることができました。

中原中也記念館②20160522


◇中原中也記念館(「中原中也記念館」入口の説明文転記)

中原中也記念館①20160522

《この記念館は平成6年(1994年)2月、郷土が生んだ詩人中原中也の業績を記念して、生誕の地に開館した。

日本の近代文学における代表的な詩人中原中也は、ここで産声をあげ、この地から市内の小学校と中学校に通ったのである。

中原家はこのあたりにかなり広い敷地を持つ大きな医院であった。詩人の生家は昭和47年(1972年)の5月(※)に火事で全焼している。現在、この記念館が建っている土地は、その広大な生家跡の一部である。火事の際、中也の自筆の原稿や遺品などの貴重な品々は、実弟の故中原思郎氏をはじめ遺族の決死の作業によって、無事に運び出された。その後もこれら遺品や遺稿は、遺族の手で大切に保存されてきた。この記念館を開設することができたのも、資料の散逸を防いだ中原家の努力に負うところが大きい。

中原中也記念館の建設は、中也の詩を愛する人々の長年にわたる願いであった。
没後57年を経てようやく、縁の深いこの地に中原中也記念館を設立することができた。
異郷で没した中也も、これで故郷に帰ることができたといえよう。》

中原中也記念館③20160522
 中原中也記念館



註「手元切抜き記事による」:(※)昭和47年(1972年)5月7日の朝日新聞朝刊
新聞記事①中原中也生家焼ける新聞記事②中原中也生家焼ける
《◇……中原文学の生家焼ける
 山口市湯田温泉にある昭和初期の代表的な詩人、中原中也の生家が六日朝、火事で焼けた。
 保存してあった中也の原稿約二千枚は実弟が持出して無事だったが、川端康成、小林秀雄、大岡昇平などの手紙二百通と、中原文学の研究資料など一万点が焼けた。
 最近でも中原ファンが多く、日に五十人ほどの見学者があり、たまたま四月二十九日が中也の誕生日で、ふだんは土蔵にしまっておく資料を、焼けた母屋に陳列していたために灰になってしまった。》



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コメント

        

中也と泰子
私も機会があれば、是非訪れたいと思いました。10代から愛唱した詩人です。
長谷川泰子さんがビル管理人をされている時、そのビル一角の画廊でお会いし、問わず語りに中也の事をお聞きした、次第でした。小林秀雄の事は一切出て来ませんでした。おばあちゃんでしたが、美人の面影が色濃く残っていました。
そんな訳で中也ゆかりの場所には、行かねばと思っています。今や全てが〝汚れちまった″のです。
物書きでない人の本・・・
文筆を生業としていない、中也のお母さんの中原フクさん(※)、弟さんの中原思郎さん、そして長谷川泰子(※)さんの三人が、中也のことについて書かれています。(※村上護さんの聞き取りによる)
ウチ、泰子さんだけが血のつながってない身近な人でしたが、そうであるが故に彼女の伝える、当時の中也の人となりや、彼の仲間たちとの交友の状態を知ることができる貴重な本となっています。