FC2ブログ
        

 宮沢賢治  種山ヶ原(作品第368番) パート三

2016/ 08/ 06
                 

 特に詩歌・童話の世界において、宮沢賢治の名を世に高らしめた一番の功労者は、草野心平その人です。心血を注ぐ彼の尽力があったからこそ、こんにちの「宮沢賢治」ワールドがあるといっても過言ではありません。
  大正14年(1925年)7月、『春と修羅』を読んで「瞠目し感動し」た草野心平から賢治のもとに書簡が届いたことから二人の交友が始まり、同年8月には、草野編集の文芸誌『銅鑼』に詩が発表されています。

 ここ埼玉県における宮沢賢治の足跡をたずねると、大正5年(1916年)9月、賢治は盛岡高等農林学校農学科の2年生の時の学校の地質旅行に参加したおりに、熊谷市、寄居町、長瀞町、小鹿野町、秩父市に足を運んでいます。

宮沢賢治画②


 宮沢賢治は、明治29年(1896年)8月27日、岩手県稗貫(ひえぬき)郡花巻町〈現花巻市〉に生まれ、郷里において昭和8年(1933年)9月21日永眠しました。(享年37歳)

 大正5年(1916年)9月、宮沢賢治は盛岡高等農林学校農学科の2年生の時に、学校の地質旅行に参加して埼玉県各地を訪れていますが、この年の3月には修学旅行で、京都、東京方面に初めて旅行し、8月には、絵画、浮世絵への関心がたかまり、帝室博物館見学のために上京しています。

◇詩歌・童話集の発刊:
 大正13年(1924年)4月、心象スケッチ『春と修羅』〈大正11年1月より大正12年12月までの詩69篇を収録〉を自費出版で東京関根書店より刊行。発行部数一千部。
 大正13年(1924年)4月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を東京光原社より刊行。
 昭和2年〈1927年)1月、『春と修羅』第二集〈大正13年2月より大正14年10月までの作品108篇収録)の出版を予定して「序」を書いていますが、出版はされていません。
 また『春と修羅』第三集は、大正15年(1926年)5月より昭和2年(1927年)9月までの作品、126篇収録の詩となって書き残されています。
◇没後の全集発刊:
 昭和9年(1934年)10月、「宮沢賢治全集」全三巻が文圃堂より刊行。
 昭和14年(1939年)11月、「宮沢賢治全集」全七巻を十字屋書店より刊行、昭和19年(1944年)2月完結。
 昭和31年(1956年)4月より「宮沢賢治全集」決定版全十一巻を筑摩書房より刊行、昭和32年(1957年)2月完結。

宮沢賢治画①



 宮沢賢治の詩には、「春」、「冬」の文字が良く使われています。
 反面、「夏」という言葉が見つかりません。私が目を通した限りにおいては、次の「種山ヶ原 パート三」に1カ所だけ載っています。諸兄姉において、賢治の「詩」の中に、「夏」が表記されているのをご存知でしたら、どうぞ教えてください。
 

「種山ヶ原 パート三  宮沢賢治」

この高原の残丘(モナドノックス)
こここそその種山の尖端(せんたん)である
炭酸や雨あらゆる試薬に溶け残り
苔から白く装(よそは)れた
アルペン農の夏のウヰーゼの
いちばん終りの露岩(ろがん)である
わたくしはこの巨大な地殻の冷え堅まった動脈に
槌(つち)を加へて検(しら)べよう
おお 角閃石(かくせんせき) 斜長石 暗い石基と斑晶(はんしゃう)と
まさしく閃緑玢岩(せんりょくふんがん)である
じつにわたくしはこの高地の
頑強に浸蝕に抵抗したその形跡から
古い地質図の古生界に疑(うたが)ひをもってゐた
そしてこの前江刺(えさし)の方から登ったときは
雲が深くて草穂は高く
牧路(まきみち)は風の通った痕(あと)と
あるかないかにもつれてゐて
あの傾斜儀の青い磁針は
幾度もぐらぐら方位を変へた
今日こそはこのよく拭(ぬぐ)はれた朝ぞらの下
その玢岩の大きな突起の上に立ち
  ……赤いすいばとひとの影……
なだらかな準平原や河谷(かこく)に澱(よど)む暗い霧
北はけはしいあの死火山の浅葱(あさぎ)まで
天に接する陸の波
イーハトヴ県を展望する
いま姥石(うばいし)の放牧地が
緑青(ろくしやう)いろの雲の影から生れ出る
そこにおお幾百の褐や白
馬があつまりうごいてゐる
かげろふにきらきらゆれてうごいてゐる
食塩をやろうと集めたところにちがひない
しっぽをふったり胸をぶるっとひきつらせたり
それであんなにひかるのだ
起伏をはしる緑のどてのうつくしさ
ヴァンダイク褐にふちどられ
あちこちくっきりまがるのは
この高原が
十数枚のトランプの青いカードだからだ
  ……蜂がぶんぶん飛びめぐる……
海の縞(しま)のやうに幾層ながれる山稜と
しづかにしづかにふくらみ沈む天未線(スカイライン)
ああ何もかももうみんな透明だ
雲が風と水と虚空と光と核の塵(ちり)とでなりたつときに
風も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは
水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ
  ……蜂はどいつもみんな小さなオルガンだ……

(※)所収:日本詩人全集 20 宮沢賢治 発行所株式会社新潮社 昭和42年4月10日発行


宮沢賢治大正15年ごろ
 宮沢賢治(大正15年頃)



関連記事
スポンサーサイト



                 

コメント

        

宮沢賢治
私も賢治が大好きです。ヴェネツィアおたくなのですが、2008.10.05日に《日本の旅》として賢治博物館に行ったことを書きました。2012.08.04日でも《カッコーとほととぎす》で賢治の事に触れました。
昨年ヴェネツィアに行った時、東洋美術館の売店で賢治の翻訳があったのですが、潤一郎の物だけ購入し、両方買わなかったのを悔いています。現代物では吉本ばななさんの物など読まれています。彼女にはアレッサンドロ・ジェレヴィーニという良き伊訳者がついているのです。
Piacere.
2007年10月19日「Piacere.」、2008年10月05日「日本の旅(1)」、2012年8月4日「カッコーとほととぎす」拝見しました。もう9年もブログをされているのですね。 私のブログはあっちにいったりこっちにいったりと、照準が定まらないままです。昨年、50年ぶりに前橋キリスト教会(画家星野富弘氏が、舟喜拓生牧師より受洗された教会)を再訪しました。高校の三年間通った思い出深い教会です。・・・今、宗教とは何ぞやと、あらためて青春時代に遡りしているところです。
宮沢賢治の故郷は、かなり以前、一度訪れました。駅前からタクシーに乗ったら、早速ドライバーの方から、宮沢賢治をたずねて来たのですかとお声がかかり、賢治の話を私たち二人に、多々縷々と説明が始まりました。地元の皆さん誰にもいつまでも、賢治は愛されているんだなあ・・・と心深く思いました。