FC2ブログ
        

 浅草フランス座 浅草東洋館  ビートたけしさん

2016/ 10/ 09
                 
 「浅草フランス座」の出身者といったら、あなたは先ず誰の顔を思い浮かべますか。
 渥美清さんですか。清さんもふーてんの寅さんも台東区で生まれ育ちましたね。
 それとも、北野武さんですか。ビートたけしさんは、昭和34年(1959年)に「東洋劇場」のオープン(「浅草フランス座」が同ビルの1階から4階と5階に移動)に伴い、エレベーターが設置されたときに、エレベーターボーイとして雇われたのをご存知でしたか。

 「浅草フランス座」は、昭和26年(1951年)に、名前の通りこの浅草で生まれました。
 
 それでは、そもそも、「浅草フランス座」といったら、あなたはどんな舞台を思い浮かべますか。
 あっ、その前に、「浅草フランス座」出身者のお名前を、アバウトで、ずらっと並べてみることに致しましょう。
 ◇永井荷風(1879年12月3日-1959年4月30日)
 ◇伴淳三郎(1908年1月10日-1981年10月26日)
 ◇由利徹(1921年5月13日-1999年5月20日)
 ◇八波むと志(1926年12月1日-1964年1月9日)
 ◇渥美清(1928年3月10日-1996年8月4日)
 ◇関敬六(1928年3月25日-2006年8月23日)
 ◇三波伸介(1930年6月28日-1982年12月8日)
 ◇長門勇(1932年1月1日-2013年6月4日)
 ◇谷幹一(1932年11月21日-2007年6月25日)
 ◇坂上二郎(1934年4月16日-2011年3月10日)
 ◇井上ひさし(1934年11月17日-2010年4月9日)
 ◇前田隣(1936年4月12日-2009年2月19日)
 ◇橋達也(1937年2月21日-2012年1月16日)
 ◇東八郎(1938年5月31日-1988年7月6日)
 ◇萩原欽一(1941年5月7日- )
 ◇北野武(1947年1月18日- )


  そうです。「浅草フランス座」は、ストリップ劇場として世に出ています。
  その歴史を、「浅草東洋館」から、そのままお借りしてみることに致しましょう。

[浅草フランス座に始まる歴史]
 「浅草東洋館」の歴史は、昭和26(1951)年に興行した「浅草フランス座」に始まります。
 ストリップ劇場であった浅草フランス座には、かの永井荷風も熱心に通っていました。また、ストリップの合間に、コントなどの軽演劇を上演していました。これが評判になり、昭和34(1959)年に「東洋劇場」が生まれることになります。

[コメディースターが続々登場] 
 東洋劇場の舞台では、渥美清、長門勇、由利徹、東八郎などがコメディを演じ、人気を博しました。

[浅草フランス座が再度オープン]
 昭和39[1964]年、浅草フランス座はいったん看板を下ろし、1階が東洋劇場、4階と5階が「浅草演芸ホール」という体制がしばらく続きます。
 そして、昭和46(1971)年に、東洋劇場が閉館すると、浅草フランス座が再度オープンすることになります。

[浅草東洋館としてオープン]
 その後、浅草フランス座は昭和57(1982)年に再び閉館、昭和62(1987)年に三度オープンするも、平成11(1999)年に惜しまれつつ閉館しました。浅草フランス座を改装し、浅草東洋館としてオープンしたのは平成12(2000)年の元旦のことです。




「浅草フランス座演芸場東洋館」

「浅草東洋館」(正式名称は、「浅草フランス座演芸場東洋館」です。)は、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する、都内で唯一の「いろもの寄席」です。
「いろもの」とは、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、落語以外の演芸のことです。
 建物を同じくする姉妹館・浅草演芸ホール(落語中心の寄席)とともに、歴史ある浅草お笑い文化の一角を担っています。

浅草⑪

浅草⑫


関連記事
スポンサーサイト



                 

コメント