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遊民史

2012/ 12/ 05
                 
遊子vs遊民

遊子
 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
 緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
 しろがねの衾の岡辺  日に溶けて淡雪流る
 ・・・

遊民
 ・・・   ・・・   ・・・   ・・・   ・・・
 ・・・ 遊民ではないが、遊民のもつ性格、人生観、行動に接触し交叉するものが代表的上州人の中に閃いているからこそ世評や批判の場合にやくざ的というものを特長として挙げるのではあるまいか。私は遊民こそ上州および上州人を知る一表出現象と見るのである。その意味で、遊民史を究明することによって、群馬県民性を最も具象的に考察できると考えた。要するに、歴史を通して遊民を知ることにより、演繹的に上州人を解剖しようと企てたのが一つの態度であった。
 ・・・   ・・・   ・・・   ・・・   ・・・


※遊子=家を離れて他郷にある人。旅する人。旅人。旅客。行客。
※遊民=職業もなく遊んでいる民。仕事もせずに遊んでいる人。のらくらもの。
※出典=広辞苑:昭和39年1月15日第1版第12冊発行による。


遊子で引用した詩は、島崎藤村の詩で有名な、小諸城址懐古園の詩碑、千曲川旅情の歌の前段。
遊民で引用した文は、萩原進著 「群馬県遊民史」、「序」からの抜粋。
 (昭和46年9月10日三版発行.発行所上毛新聞社)

群馬県遊民史
 第一部・総説篇
第一章  社会史的に見たやくざと武士の発生  
第二章  遊民を生む基盤と背景
第三章  分割統治の欠陥と応急補強策
第四章  集団としての考察
第五章  県民性とやくざ
第六章  上州無宿と博奕
第七章  上州やくざの社会的動向
第八章  やくざ対策の史的変遷
第九章  明治期の博徒
第一〇章 文学および芸能への影響
 第二部・やくざ列伝
第一章  江戸時代のやくざ
第二章  明治時代以降のやくざ
第三章  その他のやくざ
 第三部・雑記
 結 論 
 写真 と 表


 萩原朔太郎をテーマにした論文は立派に書きあがったことでしょう。昔のことを突如として思い出す今日この頃です。本文第十章 文学および芸能への影響 第六項、萩原朔太郎の詩『国定忠治の墓』
 近代詩人として高く評価されている前橋出身の萩原朔太郎が、昭和五年の冬に、わざわざ自転車で国定村までゆき、忠治の墓にゆき、「国定忠治の墓」という作品を遺している。近代詩人の詩想と、無頼の徒忠治が、どこに接点をもつものか、まことに興味深いものがある。詩のあとの詞書に、
  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落胆して、心列しき飢餓に耐えず、ひそかに家を脱し て自転車に乗り、烈風の砂礫を突いて国定村に至る。忠治の墓は荒涼たる寒村の路傍にあり。
  一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるえて、冬の日の天日暗く、無頼の徒の悲しき生涯を偲ぶに耐えたり。我此所 を低徊して、始めて更に上州の粛条たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。
とある。カラッ風の烈しい冬の日に、砂礫の道を自転車でゆきたくなった衝動はなんであったろうか。彼は上州の荒涼たる自然とその自然の落し子である国定忠治の「悲しき生涯」に自分を立たせている。朔太郎の見た、感じた忠治――それが作品の中にうたわれている。
  国定忠治の墓 
 わがこの村に来りし時
  以下、13行略   ・・・
 ・・・
 いかんぞ残生を新たにするも
 冬の粛条たる墓石の下に
 汝はその認識をも無用とせむ
             上州国定村にて 


群馬県遊民史
 ②
 ③




 





 
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