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弥勒菩薩  半跏思惟像  中宮寺  広隆寺

2017/ 05/ 26
                 
 中二のときの夏休みの宿題の一つ。
 作文のタイトルは、弥勒菩薩

 国語の先生が、中学生がこんな名文書けるはずない。と、作文の最後のページに朱書きで記していました。一応点数はつけてありました。


 夏休みはきょうで終わりです。宿題がまだ幾つか残っています。
 国語のK先生は群馬県の文壇で名のある方です。毎月発行の文芸誌には必ずお名前が載っていました。
 先生の顔を思い浮かべながら、宿題のテーマをあれこれ考えます。
 父の机の前にある本棚に目をやりました。會津八一や和算に関する書物などの他、奈良、京都の古寺に関する書籍や写真集がずらっと並んでいます。
 本棚の隅、一番脇に、小さな紙入れが挿んであるのが目にとまりました。
 徐に手に取りました。
 ポストカードが入っていました。 
 一葉の写真が目に飛び込んできました。
 弥勒菩薩の姿です。

 実物はお目にかかったことはないのですが、スラスラスラッとあっというまに作文はできあがりました。これで一丁上がりとなりました。

 K先生、その作文、正真正銘、私が書いたんですよ。




中宮寺の弥勒菩薩ー1-  広隆寺の弥勒菩薩 -2
  中宮寺ご本尊                   広隆寺伝創建当時ご本尊
 



半跏思惟像(はんかしいぞう):日本大百科全書(ニッポニカ)による解説


《仏像の姿勢の一種。「はんかしゆいぞう」ともいう。腰を掛けた形の倚像(いぞう)の一つで、片脚を垂下し、もう一方の脚を垂下脚の膝(ひざ)の上にのせた姿を半跏座(普通の坐像(ざぞう)は結跏趺坐(けっかふざ))と称するが、さらに右手を頬(ほお)のあたりにあげ、思索する形をとっているのでこうよぶ。半跏像の多くは左脚を垂下しているが、右脚を垂下することもある。この姿は弥勒菩薩(みろくぼさつ)に多くみられ、また中国では悉達多(しっだるた)太子(釈尊の出家以前の時代)の思索する姿として六朝(りくちょう)時代(3~6世紀)から多くみられ、日本では、朝鮮の三国時代、とくに新羅(しらぎ)の仏像の影響で、飛鳥(あすか)時代から奈良時代(7、8世紀)にかけて、弥勒菩薩として制作された例が多い。京都・広隆寺の二体、奈良・中宮寺の本尊(以上国宝)、大阪・野中寺(やちゅうじ)の金銅弥勒菩薩像(重文)などはその例である。[佐藤昭夫]
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出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)/日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例 》



思惟半跏像:中宮寺公式サイトによる解説

《国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)について

 東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める作品であります。また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれております。
 半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、いかにも人間の救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。斑鳩の里に伝統千三百余年の法燈を継ぐ中宮寺の、この像は、その御本尊として永遠に私たちを見守ってくださるでしょう。 》


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