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高麗神社  出世明神 総理大臣 太宰治、壇一雄、そして坂口安吾

2017/ 09/ 21
                 
  鳥居をくぐり、高麗神社境内に入ります。

  高麗神社 鳥居


  由緒書を見ます。

 《 高麗神社は高句麗国(こうくりこく)の王族、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀(まつ)る社である。
 高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約七〇〇年君臨していた。
 その後、唐(とう)と新羅(しらぎ)の連合軍の攻撃にあい、六六八年に滅亡した。
 この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国(〈※〉)に住んだが、霊亀(れいき)二年(七一六)、そのうちの一七九九人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。
 郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。 》

 (〈註〉:「続日本記」には、霊亀2年5月16日(西暦716年)、関東七国(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野)に定住していた高麗人1,799人を武蔵国に集め、高麗郡が建部されたことが記されています。 )



 高麗神社は、こんにち出世明神とも言われています。
 由来は、大正末期から昭和の初期にかけて、政治家や法曹界から多くの人たちが高麗神社に参拝され、その後、総理大臣など各界を代表する人物が何人も輩出した(〈※〉)ことから、当時の新聞記者が「出世明神高麗神社」と書いたのが出世開運とされる由緒の始まりとのことです。


(註:〈※〉
 ◇総理大臣:若槻禮次郎(第25代・第28代)、濱口雄幸(第27代)、齋藤實(第30代)、平沼騏一郎(第35代)、小磯國昭(第41代)、鳩山一郎(第52代、第53代、第54代)、
 ◇文部大臣:小野錬太郎(第35代〈文部科学省「歴代文部大臣一覧」による。現行規定以前の、太政官制(文部卿7人)及び内閣制(文部大臣5人)はここでは数えませんでした。文部大臣小野錬太郎を検索すると第36代、第40代、第46代などの表記が散見されます。)
 ◇最高裁長官:石田和外(第5代)、
 ◇検事総長:吉永祐介(第18代)、  )




  文化人の参拝

 小説家では、昭和18年(1943年)頃に太宰治とその仲間が、そして昭和26年(1951年)の例大祭前日の10月18日に坂口安吾(〈※〉)と壇一雄が、それぞれ連れだって参拝しています。
 (著名人の参拝者を列記すると、枚挙にいとまがつかなくなります。新しいところを省いて、ちょっと古いところを列記すると、作家では尾崎紅葉、幸田露伴、漫画家では岡本一平(岡本太郎の父)などの名前を見ることができます。)

(註:〈※〉坂口安吾は、高麗神社の例大祭予行演習に出会い、獅子舞の篠笛の哀調を帯びた音色を聴き、高句麗国が滅びて海を渡ってこの地に移り住んだ亡命者たちの歴史に思いを馳せて、「高麗神社の祭りの笛」という随筆を書いています。



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