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義民  佐倉の惣五郎  磔茂左衛門

2017/ 10/ 02
                 
 私のふるさとの一つ群馬県の「上毛かるた」の中に、人物かるたが8枚入っています。そのうち農民をとりあげているのが2枚で、その一つが「ろ:老農船津傳次平」で、もう一つが「て:天下の義人茂左衛門」です。


先日の、勤めていた会社のOB会、秋のバス旅行初日の最初の参拝・見学場所が、初訪問となった「義民」(〈※1〉)で名高い佐倉の惣五郎を記念して建てられた、成田市宗吾にある、「宗吾御一代記館」でした。


 「木内惣五郎=宗吾」(〈※2〉)も、「杉木茂左衛門」(〈※3〉)も、評伝などでは江戸時代前期、藩の悪政に耐えかねた農民たちを救済するために幕府に直訴(〈※4〉)して、磔刑に処せられた人物として描かれています。
 後世、義民(=義人)として祀られました。

 佐倉の惣五郎 四代将軍家綱公に




註〈※1:義民〉~世界大百科事典 第2版の解説~
《百姓一揆の指導者として,多数の農民のために一身をささげた者をいう。江戸時代にはこの用語はなく,明治維新後まず義人の呼称が使われたが,大正期ごろから義民の呼名が一般化した。全国的に有名な義民としては,承応年間の下総国佐倉藩の佐倉惣五郎,天和年間の上野国沼田藩の杉木茂左衛門(磔(はりつけ)茂左衛門ともいう),承応年間若狭国小浜藩の松木荘左衛門(長操),貞享年間信濃国松本藩の多田加助(加助騒動),寛政年間伊予国吉田藩の武左衛門(武左衛門一揆)などがある。》

註〈※2:木内惣五郎=宗吾〉
  ◇生没年何れも?:慶長17年(1612年)-承応2年(1653年)

註〈※3:杉木茂左衛門〉
  ◇生没年何れも?:寛永11年(1634年)-天保2年(1682年)又は貞享3年(1686年)

註〈※4:直訴〉
 ◇この二人の義民の項を、辞書など検索するに「直訴」とも書かれていますが、将軍への直接手渡しは叶わず、間に人の手を通しての願書として記載されています。




  手まり歌・お手玉歌 佐倉のそうごろう

 いちばんはじめは 一ノ宮


《「一番始めは一の宮・・・」は、明治時代から歌い継がれてきた手まり歌・お手玉歌のひとつです:NHK for School
.
一番(いちばん)始(はじ)めは一(いち)の宮(みや) 

二(に)また日光(にっこう)中禅寺(ちゅうぜんじ) 

三(さん)また佐倉(さくら)の宗五郎(そうごろう) 

四(し)また信濃(しなの)の善光寺(ぜんこうじ) 

五(いつ)つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ) 

六(むっ)つ村々(むらむら)鎮守(ちんじゅ)様(さま) 

七(なな)つ成田(なりた)の不動(ふどう)様(さま) 

八(やっ)つ大和(やまと)の法(ほう)隆寺(りゅうじ) 

九(ここの)つ高野(こうや)の弘法(こうぼ)様(さま) 

十(とお)で東京(とうきょう)心願寺(しんがんじ) 

【解説】「一番始めは一の宮・・・」は、明治時代から歌い継がれてきた手まり歌・お手玉歌のひとつです。時代や地域によって歌詞が変わる場合もあります》



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