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2018/ 01/ 24
                 

 この広き淡海(あふみ)の湖(うみ)のほとりにて歌思ひけむあまた国(くに)びと

                        平成七年




 この広い淡海の湖のほとりで歌を思ったであろう古(いにしえ)から今までの、歴史に生きた日本の「あまた国びと」への果てしない想いの御歌。
「淡海(あふみ)」は淡水湖を意味する「淡海(あはうみ)」に由来して「あふみ」となった「近つ淡海」、つまり「近江」を指す琵琶湖の古称である。歌枕として『万葉集』以来、多くの和歌に詠まれ、『古今集』神遊びの歌から『栄花物語』など、そして『新古今集』でも大嘗祭(おおなめのまつり・だいじょうさい)での賀歌「神代よりけふのためとや八束穂(やつかほ)に長田の稲(いね)のしなひ初めけむ」で神聖化されてきた地であった。
 日本発祥の地のひとつ、近江の海での国偲び、民への想いが「淡海(あふみ)の湖(うみ)」から「あまた国びと」へと歴史的感慨を広げてゆく皇后様ならではの、国と民への深いお心の御歌と言える。

                              (ページ111)



皇后美智子様 全御歌


発行 2014年10月20日

釈  秦 澄美枝
発行所 株式会社新潮社




  
 国指定史跡となっている義仲寺(ぎちゅうじ)の「義仲忌(き)」は、2017年からは毎年1月の第3土曜日に営まれています。
 2018年は20日の法要となりました。
 松尾芭蕉は、義仲寺の境内で木曾義仲の隣り合わせで眠っています。
 芭蕉が亡くなる(元禄7年〈1694年〉10月12日)の5年前(元禄2年)と3年前(元禄4年)に、次の俳句を詠んでいます。

 義仲の寝覚(ねざめ)の山か月悲し

 木曽の情(じょう)雪や生(はえ)ぬく春の草

 
 治承(じしょう)4年(1180年)、信濃の木曾義仲は平氏討伐の兵を挙げます。
 寿永(じゅえい)2年(1183年)、北陸路に平氏の大軍を討ち破り、7月入京します。
 寿永3年(1184年)正月20日〈4月改元して元暦(げんりゃく)元年〉、鎌倉の源頼朝(よりとも)の命(「※」)を受けて都に上ってきた源範頼(のりより)、源義経(よしつね)の軍勢と戦い利なく、近江の地で討ち死にとなります。享年(きょうねん)31歳。

 義仲寺本堂の、朝日堂の本尊は木彫聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。
 義仲、義高(よしたか)父子の木像が厨司(ずし)に納められています。
 位牌(いはい)は、義仲、今井四郎兼平(かねひら)、芭蕉、丈艸(じょうそう)諸位合わせて31を安置しています。
 兼平の墓前祭は淡海の湖の畔、兼平庵で毎年1月21日に営まれています。
 

(「※」《・・・源頼朝の命(「※」)を受けて・・・》は、滋賀県大津市馬場の「義仲寺」の「義仲寺パンフレット」の表記ですが、群馬県渋川市北橘の「木曽三社神社」の「木曽三社神社パンフレット」には、《・・・(後白河)院の命令により源義経と源範頼に寿永3年(1184)に近江南(滋賀県)の粟津で討たれた後、・・・》と記されています。入手している史実に基ずく範囲では、「後白河院の命により・・・」という表現の方が違和感がないように思いました。)

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