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高輪泉岳寺句碑  そわ女三吟

2018/ 04/ 28
                 
 泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
  曹洞宗のご本山は二つ(〈※〉)あり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
 わが家のご本山は総持寺です。

(〈註※〉「曹洞宗のご本尊」:曹洞宗は今から八百年ほど前鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我国に開創(ひらか)れ四代目の太祖瑩山禅師さまが盛んにされました。このお二方を宗門では両祖大師と申し上げます。)
 
 曹洞宗江戸三ヶ寺萬松山泉岳寺は、国指定史跡「赤穂四十七義士墓所」として、夙に知られているところです。
 泉岳寺の公式サイトをちょっとのぞいてみることにいたしましょう。

 《「赤穂義士墓地」: 赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑤泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のちに江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83歳の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります(明和4年(1767年)9月建立)したがって泉岳寺の墓碑は48あります。》

(〈注〉元禄16年2月4日は今から315年前の1703年3月20日)




 泉岳寺に、そわ女の句碑が建っていたのは、いつ頃までだったでしょうか。
 従兄たちが泉岳寺を訪れた時は、工事などでの影響で、その姿をみることは出来なかったと。

  

 『爐邊郷談』(昭和36年〈1961年〉6月発行)の作者は、その「十八 そわ女三吟」の一つに、
 《そわ女幼き時父山岳に従ひて江戸に遊び、高輪の泉岳寺に詣で、品川の海を見る。もと山間の少女、海の広きに感じて詠ず、

 春風や空に消えゆく舟のみち

 此の句碑今泉岳寺に残れり。》
 と記しています。




   泉岳寺 そわ女句碑
 
『群馬県歴史散歩』(1990年〈平成2年〉9月発行)に丸山友良氏が「東京都港区の高輪泉岳寺に□〇そわ女を尋ねる」と題する一文を載せています。
 句碑の題額は「風樹碑」とあり徳大寺実則内大臣の書となっています。
 その下のわく内に

 春風や空に消えゆく舟のみち

 とあります。
 善次郎兼保の筆で、母が幼いときに泉岳寺に詣で詠んだ歌と記しています。石屋の名は「辻千秋刻」とわく外に刻まれているとも記述しています。

 

                 

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