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横瀬の人形芝居  一人遣い 説教節 平成30年5月13日

2018/ 05/ 14
                 
 
 ふくさ人形とも呼ばれている、横瀬(よこぜ)人形芝居(〈※〉)。
 その保存会5代目会長の若林さんから、挨拶の中で嬉しいお話を聞くことができました。
 秩父地方には人形芝居を伝える団体が3つあり、今年の1月14日に「秩父人形サミット」として、秩父宮記念市民会館で開催、来年も開かれること。日程はまだ未定だが、場所はおそらく皆野町になるだろうこと。
 横瀬町の人形は小さく高さ60cm~80cmほどで、人形芝居は一人遣い、皆野町の出牛(じゅうし)人形浄瑠璃は三人遣い、秩父市の白久(しろく)串人形芝居は二人遣いと、それぞれ特徴があること。
 3つの人形芝居の語りもまたそれぞれ異なること。
 横瀬人形芝居は説教節、出牛人形浄瑠璃は文楽、白久串人形芝居は義太夫節。

 横瀬人形芝居は、回り舞台となっていること。舞台は2.1mの正方形で、高さは87cmであること。そのまま回って舞台の転換をはかる独特な装置は、人形芝居の舞台としては全国唯一であること。
 などなど、一つひとつが印象深く感じました。

                 
 はてさて、この日の演目をお伝えしなければいけなかったですね。
 
     あしやどうまんおおうちかがみ きつねくず は  はたおり ば 
第一幕は、芦屋道満大内鏡より  『狐葛の葉  機織の場』

1-2狐葛の葉 機織の場



第二幕は、地元の子供会による 『秩父屋台囃』

3川東山びこ太鼓連



   えどむらさきこい ひがのこ    やおや  しち  しのび ば 
第三幕は、江戸紫恋の緋鹿子より 『八百屋お七 忍の場』

②八百屋お七 忍の場

            

 
(〈※〉註:
 安政年間(1854~60)江戸の説経節の3代目薩摩若太夫は、数回にわたり秩父を訪れ、そのつど三峯神社に参拝し、柴原の鉱泉宿(現秩父市荒川小野原)に逗留した。その折、旧荒川村の農民坂本藤吉は太夫に師事し薩摩若太夫を名乗った。これが秩父に説経節が伝えられた経緯であり、横瀬村の若松佐登太夫(初代横瀬村長・若林又右衛門)は、その弟弟子にあたり、江戸で人形の頭を求め、説経節にあわせて演じる人形芝居を創立した。こうして横瀬の人形芝居は始まり、秩父地方の祇園祭りの他、行田、足利、熊谷、越生などへ興行に出かけたという。
 その後、明治年間の中頃一時活動が下火になり、大正初期に復活した。昭和に入ると地元における興行に加え、秩父織物の宣伝と結びつき、東京や名古屋などまで出かけて公演を行った。現在使用されている水引幕や引幕はこの時期に調製されたものである。
 人形は一人遣いで、少人数の観客を対象とする小さな舞台で、農家の座敷などで演じるのにふさわしく豆人形とも呼ばれ、背から差し込んだ右手で人形の頭と手を遣い左手で顔の表情や着物の裾をさばくが、この所作が茶道の袱紗(ふくさ)さばきに似ていることから、袱紗人形との別名がある。人形芝居には妙な「廻り舞台」を持ち、宮大工・荒木和泉の作と伝えられている。
 また、廻り舞台の襖絵は、川西日向地区出身で幕末から明治初期に活躍した「秩父三山」の一人といわれる泉武山(1845~93)が描いている。平成2年度より3か年計画で舞台の修理が実施され、創立当時の絢爛たる舞台が復元した。)


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