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鴻巣 法要寺の梅鉢紋  加賀前田家 天神信仰

2018/ 07/ 15
                 
 江戸から中山道7番目の鴻巣宿は、日本橋からの距離が凡そ12里8町のところにあり、江戸幕府の直轄領でした。
 慶安(1648-1652)の頃(徳川家、三代将軍家光、四代将軍家綱の時代)、参勤交代の折、加賀百万石の大名行列が鴻巣宿に入りました。前田家の宿は、葵の御紋を拝した徳川家に縁の深い勝願寺です。
 一行が門をくぐりはじめました。
 行列の御先が「門前下馬」に気付かなかったということでしょうか。騎乗したまま境内に入ってしまいました。このことを伝え知った住職が、「門前下馬の浄刹ゆえ」と無礼な振る舞いを糺し、宿をとらせませんでした。

 はてさて困り果てた前田家一行です。
急遽、宿所として手当したい旨、法要寺に申し出ましたが、寺としても途方にくれました。何しろ、加賀百万石大名の参勤交代の御一行は二千人に及ぶという大所帯です。
 しかし、住職が寺の檀家の面々などとも工面、手配して、宿所として提供することができました。
 前田のお殿様は、この住職の恩に報い、法要寺に莫大な寄進をし、前田家の梅鉢紋を寺紋として使うことを許したということです。
 (江戸時代後期には、本陣一、脇本陣二、旅籠(はたご)五十八軒〈大11、中23、小24〉が記されていますが、江戸前期の宿舎記録は手元不如意です。)



 6 法要寺門


 ④法要寺紋ー2-


 1法要寺



 さて、ここでちょっと回り道をします。
 前田家の梅鉢紋ですが、菅原氏の一族で、美作国(みまさかのくに.今の岡山県北部)の、美作菅氏(みまさかかんし)一族の末裔であると加賀前田家を一代で興した利家が書き記しています。
 この一族の家紋が梅鉢紋です。
 加賀国を含む北陸一帯では、「天神信仰」とよばれる固有の神道(しんとう)の信仰に篤く、菅原道真を天満伝大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)として祠っていました。
「神」である菅原道真と同じ梅〈※〉の紋様は、前田家と加賀の領民との心を繋ぐものでした。
 「神」との繋がりを持つ前田家の家紋が、鴻巣のお寺、法要寺が「梅鉢紋」を寺紋として賜ったということに、そこはかとない歴史の趣を味わった次第でございます。

〈注:※全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられている、太宰府天満宮の神紋は、「梅花紋」。 〉

     3法要寺紋ー1-




※あと数回、「法要寺」のことをブログに載せます。資料拠所:・「平成28年度 鴻巣の歴史講座」(第2回平成28年10月31日.波田野富信講師)、・「こうのす歴史を描く」(平成23年3月発行.編集鴻巣市環境産業部商工観光課、・「鴻巣市文化財マップ」(平成27年9月25日.編集鴻巣市教育委員会)、・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・広辞苑第七版、・他


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