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下忍神社 力石  琴平神社 新川早船絵馬

2019/ 03/ 06
                 
 
 下忍神社拝殿前に、力石が左右に分かれて2つおいてあります。

 15-1 下忍神社 力石   15-4 下忍神社 力石

 大きい石は24.8貫匁(93.0㎏)、小さい石は10.8貫匁(40.5㎏)の重量です。
何時の時代から存在するか明らかではありませんが、昔の若衆が農休日などに神社に集まり、力比べをした旨の説明札が立てられていました。

 12 下忍神社鳥居

 14 久伊豆社 下忍神社



 『埼玉の神社』(埼玉県神社庁編集)より、「下忍神社」の項を引用させていただきますと、
 当社の創始は、口碑に「下忍神社は昔、久伊豆(ひさいず)社と呼んでいた。久伊豆社は武蔵七党の一つ私市党(きさいとう)の氏神で、私市城の鎮めに祀った社(やしろ)である」・・・
また『明細帳』には「昔ヨリ下忍村上組総鎮守ト仰キ云々」とあり、『風土記稿』には「久伊豆神社 村の鎮守とす、明光寺持」と載せている。
 明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治二年に村社となり、同三年に高畑の賽神社を境内に合祀し、同四二年には東谷の天神社を本殿に合祀して、社号を下忍神社と改める。更に、同年中に京田の山神社、高畑の琴平神社を境内に合祀する。
 合祀社のうち賽神社は、古くは道六神と称し、既に『慶長十三年検地水帳』(島崎隆家所蔵)にその名がみえることから古社であることが分かる。また、琴平神社は、旧別当明光寺の本山、行田遍照院の金毘羅大権現であり、神仏分離により下忍飯田萬吉家に移され、次いで当社に合祀したものである。内陣に、「弘化四年開眼供養」の墨書がある金毘羅権現蔵(24センチメートル)を安置している。
と、書き表されています。

 16 鳥居の琴平神社文字

 18 琴平神社 -

 17 金毘羅大権現
  金毘羅大権現



 明治6年(1873年)、琴平神社に奉納された「新川早船絵馬」(しんかわはやぶねえま)の作者は絵師の岩田霞岳(かがく)で、願主は芝崎鉄五郎です。
 桐板6枚を繋げて造られ縦77.5cm、横104.7cmの額装です。
 琴平神社に飾られている絵馬は複製(「埼玉県立 川の博物館」制作のレプリカ)です。

 11 新川早船絵馬

 実物は行田市郷土博物館に寄託されていますが、ふだんは未公開となっています。


 この絵馬は、明治6年(1873)に琴平神社(下忍神社境内)に奉納されたもので、作者は絵師の岩田霞岳(かがく)、願主は芝崎鉄五郎です。桐板6枚を繋げて造られ縦77.5cm、横104.7cmの額装です。
 新川とは新川河岸(かし)の事で、寛永6年(1629)の荒川開削以降に開かれ、主に忍藩の年貢米や御用荷物の運送で賑わいましたが、鉄道の開設により衰退し、大正末頃には消滅してしまいました。
画面中央には早船の様子、左上には河岸問屋の様子が描かれており、船、問屋の家屋、波頭が見事な筆致で描かれています。下半部には本絵馬の奉納者の名前と国・村名が列記されていますが、その構成は埼玉県の外、栃木、千葉、茨城、群馬県にまで及んでいます。奉納者は、問屋仲間や船頭仲間として新川河岸とつながりのあった者と考えられ、彼らが商売繁盛と航行の安全を祈願して、船運の神として信仰されていた琴平神社に奉納したものと思われます。当時の船運、新川河岸の様子や金毘羅神社信仰の様相を示す貴重な資料です。(「行田市指定有形文化財」〈平成13年3月30日指定〉行田市教育委員会)

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