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アマテラスの最期の旅 早坂暁   渥美清 桃井かおりさん

2019/ 03/ 23
                 
 「寅さんとのお別れ会」。
平成8年(1996年)8月13日、松竹大船撮影所で開かれた渥美清(1928年3月10日‐1996年8月4日〈64歳没〉)のお別れ会で、早坂暁(はやさかあきら.1929年8月11日‐2017年12月16日〈88歳没〉)も弔辞をよんでいます。



 アマテラスの様子がおかしいので、ここ数日は可能なかぎり彼女のそばから離れないようにしていた。
 アマテラスは私の住んでいる東京・渋谷の公園通り界隈(かいわい)で、もっとも長命なメス猫である。少なくとも十五年以上は生きているから、人間でいえば八十歳はゆうに超えている。
 なぜアマテラスと名が付いているかといえば、公園通り界隈の、数十匹の猫たちをたどれば、みなアマテラスにたどりつくからである。
     ――――――――――
 うずくまったまま、もう食べることも、水を飲むこともしなくなったアマテラスが、ゆるりと体を起こした。よろよろと山手線の線路のほうへ坂道を下っていく。
 「とうとう死にに行くのだ・・・・・・」
 私はゆっくりとアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの“自由猫”につき合ってきたが、一度もどこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまうのだ。ビルの谷間や、わずかな空き地をさがすが、一匹の死体も見つけることができない。「一度だって、鳥やケモノの行き倒れを見たことがありません」と俳人山頭火が話していたが、動物たちの死に際の見事さには感心してしまうばかりだ。
 アマテラスは、よろめいては立ちどまって休む。無理はない。空海が死ぬ時のように五穀絶ちをしているのだ。死ぬ直前は水絶ちである。もう死が目の前まで迫っていると、アマテラスは感じて歩きはじめたにちがいない。どうやって、その死の接近を感知できるのか。空海は、自分の方から意志的に死に接近して行っている。つかまれるのではなく、つかみに行っているのだ。アマテラスも、まさかそうしているのか。あるいは、そうかも知れない。そうでなければ猫たちは何百匹も人目に死体をさらさずに死にとげることは、むつかしい。
 予告した三月二十一日、空海は高野山の御影堂でまさに死に触れようとした瞬間、とり囲んだ弟子たちに、「お言葉を」とせがまれる。触れようとする”死“ がどんなものか教えてくれというのだ。空海は答えている。
 「生まれ、生まれ、生まれて生の始めに冥(くら)く、死に、死に、死に、死の終わりにも暗し」
 まさに死に触れ、超クローズアップで死を感じた空海の”実況中継”に、私たちは戦慄(せんりつ)する。ああ、しかし、死は生まれる始めのように暗いのかと安心もする。生まれる始めの記憶は失われているが、苦痛に満ちたものなら、きっと記憶に残っているだろう。
    ―――――――
 アマテラスは山手線にぶつかった所で左折した。ゆっくりと線路ぞいに長い坂を登りはじめた。おしりからは、赤い血が少しだが流れている。ふと私は釈尊の最期の旅を想(おも)った。八十歳を数えて、釈尊は老衰される。「自分の体は、古びた車が皮紐(ひも)であちこち縛りつけられて、やっと動いているようなものだ」。アマテラスの体が、そっくりそのままだ。釈尊は死を予知して、マカダの城から北に向かって急がない旅をはじめている。急ごうにも急げない最期の旅は、ひどい下痢と腹痛に悩まされた。たぶん、大腸癌(がん)であったろうと現代の医師たちは推量している。
  アマテラスも、腸の癌だから、あんなにおしりから血を流しているのだろう。それにしても、どこまで歩くのか。この道には死体を隠してくれるような場所はない。向こうに明治神宮が見えてきた。ああ、あの森の中で死ぬのだ。あそこなら、立ち入り禁止で、誰(だれ)の目に触れることもない。しかし、まだ二百㍍の坂道が続く。これだけの余力を残して、北への最期の旅に出かけたアマテラスに、私は驚嘆している。立ちどまり、うずくまり、また歩きはじめる。すさまじい意志の力が、こちらに伝わってきて、私は泣きそうになっていた。「人間はみっともなく、おろおろするばかりなのに、君たちは立派だ・・・・・・」。十年前、癌で死を宣告されたとき、ひとしきり混迷した自分が恥ずかしくなっている。
    ―――――――
 とうとう、坂を登りきった。あとは広い車道を横切って、神宮の森に入るだけだ。しかし車の通行が激しくて、アマテラスは渡れない。そこは信号のない場所だ。見かねて、私は車道に出て、車をとめた。「さあ、渡れ、アマテラス」。妙な男が手をあげて車をとめ、その前を、老衰した猫がヨロヨロと、時間をかけて渡って行く。非難の警笛に耐えて、とうとうアマテラスを横断させた。もう彼女の力がつき果てようとしているのは、誰の目にも分かる。せまいコンクリート柵(さく)のすき間に、アマテラスは体を押し込むようにして、深い闇(やみ)をみせる明治神宮の森の中へ入って行った。私は猫語が分かったら、空海の弟子のように、アマテラスの見て、触っている死の光景と感触を聞いてみたかったのだ。
 神宮の森の中には、私の交際した公園通りの猫たちが、立派に“覚悟死”をとげているのだろう。釈尊の最期は”諸行は老衰の法なり“と訓戒されたそうだが、私もきのう、猫たちから、大きな訓戒をもらったようである。
 平成5年(1993年)2月5日 朝日新聞(夕)  散◉策◉思◉索



 ◇1990年 『公園通りの猫たち』で、第6回講談社エッセイ賞受賞。
 ◇2018年8月1日  NHK・BS「早坂暁を探して~桃井かおりの暁さん遍路~」で、かおりさんが、暁(ぎょう)さんが死んだら、女優を辞めようと思っていた。と話しています。
 ご存じ『花へんろ』で母親役をつとめた桃井かおりさんは、当時、役者稼業から足を洗っていた雌伏の時期でした。
 早坂暁からの一本の電話で、彼女は本格的に俳優業に復帰し、その後12年にわたって主役・静子をつとめることとなりました。



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