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『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』 ブロ友記載の書籍から

2020/ 03/ 01
                 
 かにかくにその出処のなるほどさ思いあれこれ覆(かえ)る定説




 ブロ友の皆さんが紹介したあれこれの本。
幾つかを取り寄せました。


 『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』著者:田中英道 
 発行所:勉誠出版. 2019年12月1日 初版第二刷発行.

  10-3発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く田中英道 表紙.


~本題に入る前に~
ソロモンの死後、紀元前922年頃、部族間の統制を失った統一イスラエル王国は、北王国として知られるイスラエル王国と、南王国として知られるユダ王国に分裂しました。
 ユダヤ人は、ユダ族の血を引く者の意であり、南北分裂の頃には、北がイスラエル人、南がユダヤ人と区別されていました。十二部族の中の一つがユダ族なのですから、南北分裂以前のことを語るときにはユダヤ人とイスラエル人は区別されていました。ところが北イスラエルは壊滅的に滅びてしまい、以後は、ユダ族の末裔が歴史上の主たる登場人物となるために、アブラハムの末裔が全てユダヤ人であるかのような言い方もされるようになりました〈言い方ひとつで誤謬が生じるようでしたらごめんなさい。「ユダヤ人」という表現についてあちこちに述べる説明では随分と錯綜するところがあると感じましたので、今回この言い回しといたしました〉。

 12-1生出塚の埴輪 その1

 ユダヤ教とキリスト教は何がどう違うのかということは本筋から外れるということで、さておくこととして、先ずは『聖書』〈「聖書」新改訳.〈2014年7月1日(中型スタンダード版)14版.翻訳新日本聖書協会.発行いのちのことば社.〉の「旧約聖書」中からユダヤ人のことを書き記した一節を追ってみます。
・レビ記 19:27 〈あなたがたの頭のびんの毛をそり落としてはならない。ひげの両端をそこなってはならない。〉
・エレミヤ書 9:26 〈エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する。すべての国々は無割礼であり、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。〉
《※参考 『舊新約聖書』発行所日本聖書協会.1968.の「舊約聖書」中の一節 ・レビ記 19:27 〈汝等頭の鬢を圓く剪べからず汝鬚の両方を損ずべからず ・エレミヤ記 9:25~26 〈25…すなはち…エジプトとユダとエドムとアンモンの子孫(ひとびと)とモアブと野にをりてその鬚を剃る者とを罰する日きたらん そはすべて異邦人(ことくにびと)は割禮をうけずまたイスラエルの家も心に割禮をうけざればなり 〉

 前置きが長くなったのはどうしてかといいますと、本書でとりあげる人物埴輪の特徴が、まさにユダヤ人のそれと合致しているという著者の注目するところのイントロダクションでもあるからです。


 

 ここに重要なポイントがあります。鍔付きの帽と顎髭、そして美豆良という頭部の様子は、世界の衣装史を見れば明らかな通り、当然、ユダヤ人の姿かたちを思い起こすはずです。
 



 

 
その一つ。《外国を示している「毛」》
…〈※ご参考:「しのぶ毛の国二子塚」〈上毛かるた「し」〉…

 
 先に私は、「日本の歴史は、従来よりも国際的に見なければいけない」ということを述べました。ユダヤ人の姿をかたどった人物埴輪の実在を無視するわけにはいかないのです。ここまでに紹介してきたさまざまな説に、その視点はまったくありません。
 「毛人」という言い方は、後の時代になると「南蛮人」と同じ意味合いをもってきます。ヨーロッパの白人たち、あるいは中東の人たちなど、つまり、黄色人種ではない人たちのことを指して呼ぶことが多くなります。
「毛の国」という言い方には、すでにこの要素があったと見るべきでしょう。同地には既に多くの大陸からの渡来人がきており、その中にユダヤ人がいました。人物埴輪に見られるような、特色のある「みずら」というもの、そういった意味合いでの「毛」ではないか、ということがわかってきます。
 特に、上毛野国、下毛野国には、後に多胡氏が住み着いたように、たくさんのユダヤ系の人たちがいました。
 なぜユダヤ系の人たちが多くわたってきたのかと言えば、それはユダヤ人の持つ歴史的な必然性によります。国を捨てること、国がなくなってしまうことを運命とする民族ですから当然です。
 ユダヤ人以外の人々は、自分の国に帰る、あるいは自分の国の周辺に住むということが可能でした。しかし、ユダヤ系の人たちは、常に追われる民族であるということを、自らも認めて行動する人たちでした。
 ユダヤ人たちは中東の周辺にとどまることをせず、なぜ日本にまで来たのでしょうか。いつかは自国に帰ろうとする他の民族と、どこが違うのでしょうか。
 つまり、ユダヤ人には故国そのものが最初からない、ということです。現在はイスラエルという国が建国されているのだから、そうではないと考える方もいるかもしれません。しかし、ユダヤ人は、最初からディアスポラ、つまり離散の民、流浪の民を自認している人たちなのです。 〈以下、略〉

 

その一 《東国こそが日本国》
 〈… かって縄文から弥生時代に存在した日高見国が今は「日本」と呼ばれている、ということです。東国というものがまさに日本である、と旧唐書は書いているわけです。
 そして「毛」の意味するものは、大陸の人たち、つまり西方の人たちです。「毛人」は、黄色人種ではない、モンゴロイド系ではない人たちのことを指しています。
 東北地方の研究者として有名な人物に、民俗学者の柳田国男がいます。東北地方の伝承を収集して記録した『遠野物語』をはじめとする柳田国男の研究には、山人や鬼、天狗といった異人あるいは異形の人たちが登場します。これらもまた、「毛人」たちの存在を示すものだと考えられます。〈以下、略〉

 13-2迦葉山の天狗その2
 〈「迦葉山の天狗」迦葉山龍華院弥勒寺(群馬県沼田市上発知町445)〉


その一つ 《関東から始まった馬の文化》
 〈…日本には古来、馬はいませんでした。『魏志倭人伝』に、次のように書かれていることは有名です。
 稲・からむしを植え、蚕を飼い、まゆを集めて織り、細い麻糸や絹織物・綿織物を作っている。その土地には、牛・馬・虎・豹・かささぎはいない。(前掲『倭国伝 中国正史に描かれた日本』)

 
 あらゆる点から信用のおけない魏志倭人伝ですが、とはいえ、これが中国に伝わっていた日本の情報です。しかし、非常に多くの馬具、あるいは、馬の歯さえ見つかっている関東ということを考えれば、大陸から関東にわたってきた人々は大量の馬を連れてきたということは明らかです。だから、「群馬」というわけです。
 もちろん、今の群馬県に住む方々は、県名のそうした由来、つまり、大陸の騎馬民族がこの地にやってきたこと、そこにはユダヤ人が加わっていたということをほとんど認識していないでしょう。群馬県は、そういう人たちが連れてきた馬がいた地域です。ここから、日本の馬というものが始まり、定着していったのです。
多胡羊太夫にもまた、日本にはいなかった動物「羊」の名前がついています。羊もまた、朝鮮や中国のさらに向こうの地に由来する騎馬民族の人たち、あるいは狩猟民族たち、遊牧民族たちが連れてきたのでしょう。
馬や羊など、これらはすべて、やはり船にのせて運ばれてきたものだろうと思います。馬具が出土する古墳数は、畿内が三八〇基、それに対して関東は七六〇基です。
 そして、この時代の馬の牧場は畿内では確認されていません。一方、関東には二十七箇所あったことが研究の結果、明らかになっています。
つまり、関東には騎馬をあやつる民族、すなわち軍事に長けた人々がいたということです。〉





〈※註「芝山古墳」: 千葉県山武郡横芝光町中台にある芝山古墳群は、日の昇る九十九里浜を前にしたところに位置しています。〉
〈※註「美豆良(みずら):美豆良〈角髪(みずら)などの表現もあり〉は、髪を頭の中央で左右に分け、両耳のあたりで束ねて輪状に結ぶことでできあがります。」
 


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コメント

        

いやぁ改めて面白かったです。
かけていたYouTubeが急に煩く感じ、
消してとくと読み入ってしまいました。
ありがとうございました。
もう一つも載せるつもりですが・・・
> いやぁ改めて面白かったです。
> かけていたYouTubeが急に煩く感じ、
> 消してとくと読み入ってしまいました。
> ありがとうございました。

こんにちはv-398
消化不良ですがアップしてしまいました。
前段に箇条書きで、ユダヤの民はいつごろ日本にわたってきたか、日出ずる国とはどこを指していたのか、
アイヌの民は蝦夷の民ではない、毛の国のいわれを知っていますか、エトセトラを目次風にしておけば
よかったなあ・・・などと、思い直しているところです。
はーとまいんどさんに教えて頂いたもう一つの本も、忘れたころに、載せようかなとも思っていますが、
こちらは〈そのほかの人が著した本などと比較しながら論じようとすると〉かなりハードルが高く、
かつ長文にならざるを得なくなるというのが必然となりますので、二の足を踏むことになりそうな
・・・とも思っていますv-388・・・