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阿刀田高

2013/ 04/ 27
                 
言葉の海へ こぎ行く

 4月は

 若い人たちのあいだで三浦しをんの小説〈舟を編む〉がよく読まれているらしい。旧聞ながら昨年の本屋大賞受賞作品である。初めてタイトルを見たとき、
 ――――いいねえ――――
 と思った。小説のタイトルを決めるのはむつかしい。私はデビューして間もないころ古手の編集者から、
 「読者の九十パーセントはだれが書いているか、作者で本を選ぶんですよ」
 「そうでしょうね」
 「でも。あなたが松本清張や司馬遼太郎を名のるわけにいかんのです」
 「はあ?」
 「残りの十パーセントはタイトル。魅力的なタイトルをつけなきゃいけない」
 たっぷりとしごかれた。
 あれから四十年、よいタイトルについて私見を述べれば①言葉として整っていること②内容を巧みに暗示していること③読者に"おやっ"と思わせるものを含んでいること、などなどが標準的な条件だろうか。言語表現としてギクシャクしているのはよくないし、内容をあまりにもあからさまに表しているもの、逆に内容と関係の薄いものもいただけない。ほんの少し平凡さを超えるものであってほしい。〈舟を編む〉は右の条件をほとんどすべて満たしている。しかし、
 ――――舟って"編む"ものかなあ――――
 漕いだり造ったりはするけれど……。日本語としてやっぱり正しいものであってほしい、と思ったが、さらに確かめると、これは国語辞典を編む仕事がテーマとなっている作品で、広大な言葉の海を舟で行くことを言っているらしい。ますます、
 ――――いいねえ――――
 と思った。読んでみればまさしく辞書編集のくさぐさ。若い読者が日本語に関心を持ってくれるなら、さらに、
 ――――いいねえ――――
 である。三浦さんは面識のない作家ではない。ご尊父(※)は古事記の権威で、こちらからも私は多くの示唆を受けている。
 ――――しをんさん、いい仕事をなさいましたね――――
 心から拍手を送りながらも、ほんの少し、
 ――――しまった――――
 と悔やまないでもなかった。ありていに言えば、
 ――――このテーマ、私が書きたかったな――――
 こういう感想は時折いだく。実際に書けるかどうかの問題ではなく、わけもなくうらめしい。日本語には私も関心があるし、辞書を創る仕事にも興味がある。私も小説に書いてみたいと……これは、まあ、コロンブスの卵というもの。それにしても言葉の海を舟で行くイメージはすばらしい。
 話は変わるが、舟は人間が一番最初に作った乗り物だろう。陸路はとにかく足で行くことができるが、川や海を行くとなるとどうしても工夫が必要になる。その手段を象形文字で現したらしい。
 舟を歌った詩歌はたくさんあるけれど、私は中原中也の〈湖上〉が好きだ。
 ポッカリ月が出ましたら、
 舟を浮かべて出かけませう。……
 ロマンチックな夜の恋。月と湖が美しい。 (作家)

いま風   金曜日
時字  随想

阿刀田高
 あとうだ・たかし 1935年、東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。78年に『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。79年に短編集『ナポレオン狂』で直木賞、95年に『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受けた。2012年4月から山梨県立図書館長を務める。近著に『源氏物語を知っていますか』。

2013年(平成25年)4月26日(金曜日)  夕刊  讀 賣 新 聞


(※)三浦佑之(みうらすけゆき) 1946年、三重県生まれ。 上代文学、伝承文学研究者

三浦しをん(みうら・しをん)
1976年、東京都生まれ。2000年『格闘する者に〇(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利帳』で直木賞受賞。
小説に『風が強く吹いている』『成果を得ず』『神去なあなあ日常』
『小暮荘物語』など、エッセイに『悶絶スパイラル』『あやつられ文楽鑑賞』
『ふむふむ おしえて、お仕事!」など著作多数。
❀三浦しをんの上記略歴は『舟を編む』より転載。
❀三浦しをんは阿刀田高と同じ早稲田大学卒(第一文学部演劇専修)。

中原中也(なかはらちゅうや) 1907年4月29日、山口県山口市に生まれる。詩人。
詩集『山羊の歌』
詩集『在りし日の歌』(1937年9月29日、自ら選んだ詩篇の原稿を小林秀雄に託したが、同年10月23日死去。その翌年4月、創元社から出版された。)


湖上 
中原中也 「在りし日の歌」日本詩人全集22 新潮社 昭和42年7月10日発行より

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出かけませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
――――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
漏らさず私は聴くでせう、
――――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


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