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「美ヶ原」尾崎喜八の詩碑

2013/ 05/ 01
                 
信州松本 に、あね(宏有さんの姉)が住んでいた当時、そこを拠点にしてあちこち出歩きました。

 美ヶ原は、私が松本に住んでいた時に二度訪れたことがありますが、今度は宏有さんとムッちゃんと家族三人一緒です。
 松本を出発した時は、文字通り五月晴れ。風もない行楽日和そのものでした。

 標高2,000mの美ヶ原高原の頂上は冷たい風も吹いていて、雪も残りここかしこ足元をとられる水たまりができていて泥んこの状態です。
 (車内が汚れるのを避けるために)私は彼を抱いて車外に出たのですが、そこの道路作業で働いていた人たちの吐く息が、冷気で瞬間に白く煙状になりあたりに漂います。一番近くにいた人が私たちが歩いてくるのに気づき、ムッちゃんが抱かれていることを見てとるや開口一番「お犬様だあな」。
 彼はそのときとても恥ずかしいという目をして、私を振り向いてみやるのです。
 そして即座に私のかいなを振り解こうと身をよじり始めました。
 こういったとき彼は、ピョーンと私の身体をけって勢いよく飛び出していくのですが、私は首輪をギュッとつかんで彼の行動を束縛しましたので、このときは事なきを得ました。


美ヶ原
 高原のシンボルとなっている「美しの塔」に刻まれている尾崎喜八の詩「美ヶ原」。
 本人の自筆を刻んでいます。漢字以外はカタカナで書かれていますが、もともとの詩は「美ヶ原溶岩台地」というタイトルで、漢字とひらがなで書かれています。
 詩のもととするところに変わりはないのでしょうか。
 (ちょっと横道にそれますと、美ヶ原は、かっては楯状火山とその溶岩台地と考えられていたのですが、現在は安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形ということで説明されています。)


  美ヶ原
登リツイテ不意ニヒラケタ眼前ノ風景ニ
シバラクハ世界ノ天井ガ抜ケタカト思ウ。
ヤガテ一歩ヲ踏ミコンデ岩ニマタガリナガラ、
コノ高サニオケルコノ広ガリノ把握ニナオモクルシム。
無制限ナ、オオドカナ、荒ッポクテ、新鮮ナ、
コノ風景ノ情緒ハタダ身ニシミルヨウニ本源的デ、
尋常ノ尺度ニハマルデ桁ガ外レテイル。

秋ガ雲ノ砲煙ヲドンドン上ゲテ、
空ハ青ト白トノ眼モサメルダンダラ。
物見石ノ準平原カラ和田峠ノホウヘ
一羽ノ鷲ガ流レ矢ノヨウニ落チテ行ッタ。


  美ヶ原溶岩台地
登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本源的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。

秋が雲の砲煙をどんどん上げて、
空は青と白との眼もさめるだんだら。
物見石の準平原から和田峠のほうへ
一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。


❀美ヶ原といわれるようになったのは近年のことですが、平安朝の時代より放牧が行われていたという平原台地。
松本に住んでいた当時のことですが、単独行の下山中にオスの雉に出会いました。私はきちんとコンニチハと挨拶をしたのですが、縄張り争いの相手と見たのでしょうか。こちらの様子をじっと伺っています。なおも私が近ずいて数メートルに迫ったとき、突如彼は、ケーン、ケーンと鳴きながら谷底へ谷底へと滑空していきました。
 (この日、頂上のバス停留所の時刻表をみたところ松本行きの終バスが出た後だったということが判りました。一瞬躊躇しましたが、ケセラセラを決め込み麓まで何十キロの道のりを覚悟して歩き出したのですが、その下山ルートを歩いて30分ほども経った頃でしょうか、目の前にバスが突然現れました。このバス停の最終便出発の数分前のことでした。)

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