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サケの遡上

2013/ 09/ 12
                 
利根大堰

 利根大堰から導かれた武蔵水路沿いの四季折々を写真に撮っています。
 利根川の取水口にある「大堰自然の観察室」では、春(5月頃)のアユや、秋(11月~12月)のサケが魚道をのぼっていく姿を見ることが出来ます。
 埼玉県行田市大字須賀字船川4369 tel 048-557-1501
独立行政法人 水資源機構 利根導水総合事務所 の管轄で、毎日、8:30~16:30 の時間に観察(無料)が出来ます。
☛ 「ライブ映像」:利根大堰の次回「魚道ライブ映像」は、10月1日から12月25日です。
 ☛予め駐車場や観察室の場所を調べておくと、まごつかないと思います。

 平成23年は、15,095尾のサケが利根大堰を通りました。昨年でみると11月の中旬が一番多く遡上しています。

利根大堰 パンフレット裏面の③


 利根大堰という名前は、一般的に知られていますが、利根川の中流に懸っているこの橋は、「武蔵大橋」という名前です。
 利根川は、日本で2番目に長い川で、322kmあります。武蔵大橋から154km先で太平洋にそそがれています。

利根大堰・武蔵大橋

利根大堰魚道

利根大堰2艘のボート

 
用水の使途

 利根大堰で取水された水は、「武蔵水路」「埼玉用水路」「見沼代用水路」「邑楽(おうら)用水路」「行田水路」の5つの水路に分かれます。
 水道用水は、およそ1,200万人の人に利用され、農業用水を利用している水田の面積は、2.9万㌶に及び、東京ドームに換算すると6,400個分の広さに相当します。勿論、工業用水としての役割も大きく担っています。



秋二つ

 もう秋か。・・・ランボオの詩(勿論、仏蘭西語は出来ません。小林秀雄訳によるものです)が浮かんできます。

バッタもキノコも名前がわかりません。利根川の堤沿いで、秋を見つけました。

バッタ

キノコ3つ

キノコ1つ











アルチュウル・ランボオ 
別れ 訳:小林秀雄
 【小林秀雄全集全十二巻中:第二巻 ランボウ・Xへの手紙 著者小林秀雄 昭和43年2月20日發行 發行所株式会社新潮社 刊(p227~P229)による】


もう秋か。——―それにしても、何故に、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の發見に心ざす身ではないのか、——―季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。
 秋だ。俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜〔ともづな〕を解いて、悲慘の港を目指し、焰と泥のしみついた空を負ふ巨きな街を目指して、舳先をまはす。あゝ、腐つた襤褸〔らんる〕、雨にうたれたパン、泥酔よ、俺を磔刑〔たくけい〕にした幾千の愛欲よ。さてこそ、遂には審かれねばならぬ幾百萬の魂と死屍とを啖〔く〕ふこの女王蝙蝠〔かうもり〕の死ぬ時はないだらう。皮膚は泥と鼠疫〔ペスト〕に蝕〔むしば〕まれ、蛆蟲〔うじむし〕は一面に頭髪や腋〔わき〕の下を這ひ、大きい奴は心臓に這ひ込み、年も情も辨〔わきま〕へぬ、見知らぬ人の直中に、横〔よこた〕はる俺の姿が又見える、……俺はさうして死んでゐたのかもしれない、……あゝ、むごたらしい事を考へる。俺は悲慘を憎悪する。
 冬が慰安の季節なら、俺には冬がこはいのだ。

 ——―時として、俺は歓喜する白色の民族等に蔽〔おほ〕はれた、涯〔はて〕もない海浜を空に見る。黄金の巨船は、頭の上で朝風に色とりどりの旗をひるがへす。俺はありとある祭を、勝利を、劇を創つた。新しい花を、新しい星を、新しい肉を、新しい言葉を發明しようとも努めた。この世を絶した力も得たと信じた。扨〔さ〕て、今、俺の數々の想像と追憶とを葬らねばならない。藝術家の、話し手の、美しい榮光が消えて無くなるのだ。
 この俺、嘗〔かつ〕ては自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思つた俺が、今、務めを捜さうと、この粗ら粗らしい現實を抱きしめようと、土に還る。百姓だ。
 俺は誑〔たぶら〕かされてゐるのだらうか。俺にとつて、慈愛とは死の姉妹であろうか。
 最後に、俺は自ら虚偽を食ひものにしてゐた事を謝罪しよう。さて行くのだ。
 だが、友の手などあらう筈はない、救ひを何處に求めよう。

     ★

 如何にも、新しい時といふものは、何はともあれ、厳しいものだ。
 俺も今は勝利をわがものと言ひ切れる。歯噛〔はが〕みも火の叫びも臭い溜息も鎭まり、不潔な追憶はみんな消え去る。俺の最後の未練は逃げる、——―言はば乞食、盗賊、死の友、あらゆる落伍者の群れへの嫉妬だが、——―復讐成つた以上は亡者共だ。
 斷じて近代人でなければならぬ。
 頌歌はない、たゞ手に入れた地歩を守る事だ。辛い夜だ。乾いた血は、俺の面上に煙る、このいやらしい小さな木の外、俺の背後には何物もない。……霊の戦も人間の戦の様にむごたらしい、だが正義の夢はたゞ『神』の喜びだ。
 まだまだ前夜だ。流れ入る生氣とまことの溫情とは、すべて受けよう。暁が來たら俺達は、燃え上る忍辱〔にんにく〕の鎧〔よろひ〕を著て、光り輝やく街々に這入らう。
 友の手が何だと俺は語つたか。有難い事には、俺は昔の偽りの愛情を嗤〔わら〕ふ事が出来るのだ、この番〔つがひ〕になつた嘘吐き共に、思ひ切り恥を掻かせてやる事も出来るのだ、—―—俺は下の方に女共の地獄を見た、―——扨〔さ〕て、俺には、魂の裡にも肉体の裡にも、眞實を所有する事が許されよう。
 (1873年、4月―8月)


 ☛ 『遂には審かれねばならぬ』、『魂の裡にも肉体の裡にも、真実を所有する事』には傍点(、)が付けられている。



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