FC2ブログ
        

秋の詩 中也

2013/ 09/ 21
                 
宮沢賢治と中原中也

 このところの詩人に関する出版物としては、賢治と中也に関する書物が一番に多いとのことです。
 宮沢賢治の詩は、私の小さいころから慣れ親しんでいて、違和感はありませんでしたが、いつのまにか、中原中也の詩が人気になっていたということに不思議な感覚を持ちました。
 書籍の類でなく、いろいろな媒体を通してすぐ手元に手繰り寄せることが出来るという今の時代と合わせ、中也という時代を超えた個性が、今の人を惹きつけるのかもしれません。

※追補:
((「2013年(平成25年)9月22日(日曜日) 讀賣新聞 〈社会面〉
 「賢治没後80年」 ファン1000人集う
 宮澤賢治〈1896~1933)の命日の21日、故郷の岩手県花巻市で「賢治祭」が開かれた。今年は没後80年にあたり、例年より多い約1000人のファンが全国から訪れた。
 賢治祭は、賢治が私塾を開いた同市桜町に立つ「雨ニモマケズ」詩碑前で開催。
・・・
・・・))


 中原中也は詩人です。
 小林秀雄、大岡昇平、河上徹太郎、飯島耕一、大岡信、谷川俊太郎、中村稔など、枚挙にいとまがないほど彼をとり上げた著作が出ていますので、本当のところはずっと以前から、中也の詩は多くの人々の記憶に刻まれたいたというところが実際なのかもしれません。
 


中也の短歌

 中原中也の詩をみると、「秋」をうたったものが、他の詩人に比べてとても多いです。
 丸山薫のように、「春」を詩したのが殊のほか多いように、「夏の詩」、「冬の詩」を表した詩人の名前なまえが浮かんできます。
 これも、「秋の詩」という作品の数々を並べてみて、「おりふし」に詩人をみたところの感想です。

 同様にして、中也の「秋」の作品をみてみました。
 短歌はあまり多くの作品を遺していませんが、「秋」を詠んだものが多かったです。

大山の腰を飛びゆく二羽の鳥秋白うして我淋しかり

湧(わ)く如き淋しみ覚ゆ秋の日を山に登りて口笛吹けば

枯草に寝て思ふまゝ息をせり秋空高く山紅(あか)かりき

紅の落葉すざむき秋風に我が足元をカサカサとゆく

晩秋の乳色空に響き入るおゝ口笛よ我の歌なる

ヒンヒンと啼(な)く馬のその声に晩秋の日も暮れてゆくかな

刈られし田に遊べる子等の号(さけ)び声淋しく聞こゆ秋深みかも




中也の詩

「帰郷」「汚れちまった悲しみに……」「曇天」「サーカス」「一つのメルヘン」「湖上」などが、中也の詩としてよく取り上げられます。
 独特のいいまわし、彼ならではのリフレィン、言葉が言葉を紡いでいく作業は、詩人の自己表現を如実に表しています。

 彼の詩は、諸井三郎、内海誓一郎等によって歌にもなっています。中也の詞、諸井三郎の歌曲は、以前、NHKの全国高等学校合唱コンクールにも時折選曲されていました。
(※諸井三郎歌曲:「朝の歌」「臨終」「空しき秋」。※内海誓一郎歌曲:「帰郷」「失せし希望」。)

 「中也論」、私としては、詩人ではない、小林秀雄、大岡昇平、河上徹太郎の三人の文章が、より身近に感じます。
 

中原中也 曇った秋

 1

或る日君は僕を見て嗤(わら)ふだらう、
あんまり蒼(あを)い顔してゐるとて、
十一月の風に吹かれてゐる、無花果(いちじく)の葉かなんかのやうだ
棄てられた犬のやうだとて。

まことにそれはそのやうであり、
犬よりもみじめであるかも知れぬのであり
僕自身時折はそのやうに思って
僕自身を悲しんだことかも知れない

それなのに君はまた思ひだすだらう
僕のゐない時、僕のもう地上にゐない日に、
あいつあの時あの道のあの箇所で
蒼い顔して、無花果の葉のやうに風に吹かれて、――冷たい午後だった――

しょんぼりとして、犬のやうに捨てられてゐたと。

 2

猫(ねこ)が鳴いていた、みんなが寝静まると、
隣の空地で、そこの暗がりで、
まことに緊密でゆったりと細い声で、
ゆったりと細い声で闇(やみ)の中で鳴いてゐた。

あのやうにゆったりと今宵一夜(こよいひとよ)を
鳴いて明(あか)さうといふのであれば
さぞや緊密な心を抱いて
猫は生存してゐるのであらう

あのやうに悲しげに憧(あこが)れに充(み)ちて
今宵ああして鳴いてゐるのであれば
なんだか私の生きてゐるといふことも
まんざら無意味ではなささうに思へる……

猫は空地の雑草の蔭で、
多分は石ころを足に感じ
その冷たさを足に感じ、
霧の降る夜を鳴いてゐた――

 3

君のそのパイプの、
汚(よご)れ方だの燋(こ)げ方だの、
僕はいやほどよく知ってるが、
気味の悪い程鮮明に、僕はそいつを知ってゐるのだが……

 今宵ランプはポトホト燻(かが)り、
 君と僕との影は床(ゆか)に
 或ひは壁にぼんやり落ち
 遠い電車の音は聞こえる

君のそのパイプの、
汚れ方だの燻げ方だの、
僕は実によく知ってるが、
それが永劫(えいごふ)の時間の中では、どういふことになるのかねえ?……

 今宵私の命はかゞり
 君と僕との命はかゞり
 僕等の命も煙草のやうに
 どんどん燃えてゆくとしきや思へない

まことに印象の鮮明といふこと
我等の記憶、謂(い)はば我々の生命の足跡が
あんまりまざまざとしてゐるといふことは
いったいどういふことなのであらうか

 今宵ランプはポトホト燻(かが)り
 君と僕との影は床に
 或ひは壁にぼんやりと落ち、
 遠い電車の音は聞える

どうにも方途がつかない時は
諦(あきら)めることが男ゝ(をを)しいことになる
ところで方途が絶対につかないと
思はれることは、まづ皆無

 そこで命はポトホトかゞり
 君と僕との命はかゞり
 僕等の命も煙草のやうに
 どんどん燃えるとしきや思へない

 ※

コホロギガ、ナイテ、ヰマス
シウシン、ラッパガ、ナッテ、ヰマス
デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、ヰマス
クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス
イイエ、マダデス、ウシミツドキハ
コレカラ、ニジカン、タッテカラデス
ソレデハ、ボーヤハ、マダオキテヰテイイノデスカ
イイエ、ボーヤハ、ハヤクネルノデス
ネテカラ、ソレカラ、オキテモイイデスカ
アサガキタナラ、オキテイイノデス
アサハ、ドーシテ、コサセルノデスカ
アサハ、アサノホ-デ、ヤッテキマス 
ドコカラ、ドーシテ、ヤッテクルノデスカ
オカホヲ、アラッテ、デテクルノデス
ソレハ、アシタノ、コトデスカ
ソレガ、アシタノ、アサノ、コトデス
イマハ、コホロギ、ナイテ、ヰマスネ
ソレカラ、ラッパモ、ナッテ、ヰマスネ
デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、ヰマス
ウシミツドキデハ、マダナイデスネ
 ヲハリ


日本詩人全集 22 中原中也 新潮社刊・所収
 (短歌七題・詩「曇った秋」)


2007年12月30日(日)、午後10時から NHK教育テレビ ETV特集 中原中也生誕100周年
「大東京の真中で一人 ~詩人、中原中也を歩く」~
 作家の町田康が導き手として訪ね歩きます。詩人の佐々木幹郎、ノンフィクション作家の柳田邦男、宗教学者の山折哲雄、そして歌人の福島泰樹という、詩という枠におさまらないジャンルを超えた錚々たる皆さんの登場です。
 とても印象深く味わい濃いひと時となりました。
 その番組では取り上げていない詩でしたが、町田康のナレーションと重なるようにして、中也の「別離」の「1」の「あなたはそんなにパラソルを振る」の一行がすーっと思い起こされてきました。

さよなら、さよなら!
 いろいろお世話になりました
 いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
 こんなに良いお天気の日に
 お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛(つら)い
 こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
 僕、午睡(ひるね)の夢から覚(さ)めてみると
 みなさん家を空(あ)けておいでだつた
 あの時を思ひ出します

さよなら、さよなら!
 そして明日(あした)の今頃は
 長の年月見馴(みな)れてる
 故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
 あなたはそんなにパラソルを振る
 僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
 あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!


日本詩人全集 22 中原中也 新潮社刊:所収




 
 
関連記事
スポンサーサイト



                 

コメント