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宮沢賢治・・・国語の教科書

2013/ 10/ 26
                 
 宮沢賢治の詩「永訣の朝」は、中学校の国語の教科書に載っていました。
 中学一年生の時の教科書には、島崎藤村の詩(小諸の懐古園に建つ詩碑で有名な…)が載っていました。
 その詩文調とは全く異なる言葉の空間にすうーっと引きずり込まれたことを思いだしています。
 前段の(あめゆじゅとてちてけんじゃ)の3度にわたるリフレィン。
 後段に入るところの(Ora Ora de shitori egumo)、そしてその後に続く9行の後に、
(うまれでくるだて
 こんどはこたにわりゃのごとばがりで 
くるしまなぁよにうまれでくる)
と続く、いずれもカッコ書きの文に衝撃を受けました。
 1922年(大正11年)11月、妹のトシが結核で死去。25歳という若さでした。
 妹の亡くなった一夜のうちに「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」の3つの挽歌を書き上げています。
 
 永訣の朝の最後の6行

 おまへがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変って
 やがておまへとみんなとに
 聖(たふと)い資糧(しりやう)をもたらすことを
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがう


 宮沢賢治は1933年(昭和8年)9月21日、午後1時半永眠。ときに38歳の秋でした。
 その前日、短歌二首を詠んでいます。その一首

病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし

 この年は豊作であったと草野心平は宮沢賢治年譜に書き込んでいます。








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