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平家物語

2013/ 10/ 26
                 
 小学館が発行する全10巻「マンガ古典文学」シリーズには「平家物語」は入っていません。
 (※全10巻:・古事記〈壱〉〈弐〉、・伊勢物語、・方丈記、・源氏物語〈上〉〈中〉〈下〉、・徒然草、・かげろうの日記、・竹取物語.)


 平家物語を読み下したことはありません。
 あらすじを理解することにもなった本としては、講談社から発行の安野光雅さんの「繪本(えほん) 平家物語(へいけものがたり)」を見ました。79場面、143章段を収載しています。


 今年の1月21日は月曜日でしたので、大津の今井四郎墓前祭に久しぶりに顔を出そうとも思ったのですが、行きそびれてしまいました。
 たまたまこの日を前後してインフルエンザに罹ってしまったので、結果としては旅の人とならずに良かったのだと思います。

 京都のTさんから『義仲』謡曲カセットテープと、室生流特製一番本(著作者 室生九郎.昭和44年12月13日発行)と、小倉正久著「謡曲紀行」のいずれも「兼平」の項のコピーが私宛に届いていたので、お戻しするよい機会だったのですけれど、欠礼を続けることになってしまっています。


『兼平』
 木曾義仲の軍は範頼・義経の鎌倉勢に粟津が原の合戦で敗れ、義仲の乳兄弟・今井兼平は主君の後を追い壮烈な討死を遂げた。曲は、この戦いの修羅場の有様、荒武者兼平の悲壮極まりない最後などを取り扱った二番目物である。類曲に「巴」があるが、これは義仲の愛妾の立場から描かれたもの、「兼平」は忠臣の立場から叙述されたものである。
 
 作者―不明 典拠―平家物語 季節―春
 所―――前段:近江国(滋賀県)矢橋の浦
 ・・・後段:同 粟津原
 ・・・能丙―二番目

 役(前シテ)老人 (後シテ)今井兼平の霊
 ・(後シテ)今井兼平の霊
 ・(ワキ)旅僧


曲の舞台

 矢橋(やばせ)の浦を望む琵琶湖・矢橋の渡址は、草津市矢橋町の矢橋帰帆島にあり、ここから旅僧は老人の漕ぐ船に乗って琵琶湖を渡り、対岸の粟津が原の義仲の墓に向かった。
 今井四郎兼平が埋葬されている墓所は、大津市晴嵐二丁目。JR石山駅の北西二百米、工場の裏手、排水路の傍にある。この辺りは昔、琵琶湖の湖畔で、松原で有名な「粟津の晴嵐(せいらん)」といわれた近江八景の一つであったが、埋め立てで都市化し工場街になっている。用水路と思われる小川が流れているから、戦いの時は薄氷の張った深田であったであろう。最近篤志家達の寄付によって整備され、小さな公園となった。大きな碑に今井四郎兼平之墓と刻み、石棚がめぐらされ、桜が植えられている。
 寿永三年(1184)正月、粟津口での敗戦後、兼平は義仲に自害をすすめ、自らは単騎追手を遮ったが力尽き自刃した。その最後は口に刀をふくんで馬から真っ逆さまに飛び降り、刃は後に二尺も抜けるという壮烈なものであったとある。



曲の梗概

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シテ 兼平ハかくぞとも。知らで戦ふその隙(ひま)にも。
    御最期の御事を心にかくるばかりなり

 地 さてその後に思ハずも。敵の方にて声立てて

シテ 木曽殿討たれ給ひぬと

 地 呼ばハる声を聞しより

シテ 今ハなにをか期(ご)すべきと

 地 思ひ定めて兼平ハ

シテ これぞ最後の荒言(こうげん)と

 地 鐙(あぶみ)ふんばり大音(だいおん)あげ

シテ 木曾殿の御内(みうち)に今井の四郎

 地 兼平と名のりかけて。大勢にわって入れば。
    もとより一騎当千の秘術をあらハし。大勢を。
    粟津の汀(みぎわ)に追つつめて。磯打つ波の。まくりぎり。
    蜘手十文字に。打ち破り駆け通つて。その後。
    自害の手本よとて。太刀をくハへつつ逆様に
    落ちて貫かれ失せにけり。
    兼平が最後のしぎ目を驚かす有様なり
    目を驚かす有様なり


物凄い自害の有様であった。


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稽古舞台がご自宅に整っておられることを、甥のDさん夫妻に伺いました。
何かの折に訪れることが出来ましたら、手もとの三つをお持ちし、在りし日を偲びたいと思います。






平家物語絵巻③






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