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上毛かるた たちつてと

2014/ 01/ 08
                 
 上毛かるたを習った当時は、「力あわせる 百六拾萬」でした。
 「つる舞う形の群馬県」の当時の人口です。


 た ・・・ 滝は吹割 片品渓谷
 ち ・・・ 力あわせる 二百万
 つ ・・・ つる舞う形の 群馬県
 て ・・・ 天下の義人 茂左衛門
 と ・・・ 利根は 坂東一の川


 吹割(ふきわり)の滝・片品渓谷
 水量が豊富な時の、吹割の滝の瀑布の景観は見事です。
 渇水期、水がほとんど流れていないときは、岩畳がそこそこ広がっているという程度の景色に変わります。
 沼田市利根町にあります。

 以前、その吹割の滝より、ちょっと沼田よりの上久屋というところに住んでいたことがありました。
 今は同じ沼田市となっていますが、当時は利根郡となっていました。
 上久屋の隣は、原久屋という地名ですが、今でも時折、林檎狩りにでかけます。


 利根川
 片品渓谷に流れる片品川も、利根川の支流の一つです。
 玉原高原の奥を源とする利根川は、関東各県を回って、文字通り「坂東太郎」となって、太平洋に流れ込みます。


 磔(はりつけ)茂左衛門(もざえもん) 
 時の大名の悪政で農民が困窮しているのを座視できず、江戸幕府に直訴して磔刑になった杉木茂左衛門を、上毛かるたでは「天下の義人茂左衛門」とよみこんでいます。
 一蓮托生になる百姓一揆という手段を選ばず、巧妙な「恐れながら・・・」の遣り口に、実在とは異なる物語性を感じるという説もある磔茂左衛門です。
 当時、定められた合法的手続きを踏まず、直接権力者に訴えることを直訴(越訴)といいますが、これは御法度で厳しく断罪されます。事の成否にかかわらず訴願人は処刑されました。
 通常「直訴」は、一般農民→庄屋→大庄屋→代官・郡奉行→家老・藩主→幕府老中・将軍という順序を辿りますが、 茂左衛門は第5代将軍徳川綱吉に真田信直の悪政をやめさせるべく江戸へ直訴に出向きます。
 しかし、江戸城では門前払いされました。それもそのはずです。将軍が一農民の話に取り合うはずもありません。
 以下、「茂左衛門地蔵尊由来記」に託します。

 ( 茂左衛門地蔵尊千日堂 : 群馬県利根郡みなかみ町月夜野491 tel 0278-62-2380 【 ・身代わり地蔵、民衆を救おうと一身を犠牲にし妻子と共に刑に処せられた。・病気平癒、厄除、安産等の祈願などで仁愛と家族愛に深い地蔵として親しまれております。 ・月夜野八木節会による「磔茂左衛門」を題材にした八木節の歌詞と踊りが奉納されています。(春分の日、秋分の日)・茂左衛門地蔵尊縁日:・春分の日/秋分の日(年2回)・初詣・だるま市・節分豆撒
※露店が約200軒出店しにぎわいます。当日は臨時駐車場もあります。ご家族でお越しください。~群馬県hpより~ 】 )


茂左衛門地蔵尊由来記
 千日堂(JR後閑駅から徒歩約10分)に、由来の表示版が立っています。

 今から凡そ300余年前のこと。上州沼田領3万石の城主真田伊賀守信直は華美放漫の政治をした為に藩の財政は窮乏したのでこれが立直しの為領民の苦境をも考えず、寛文年間再度に亘り無理な検地をして3万石を約5倍にあたる14万4千余石とし、その上、凶年続きで困苦のどん底にあえいでいる百姓から苛酷な取立てを行い滞納者には残酷な刑罰に処した。この惨状を見るにしのびず利根、吾妻、勢多の3郡177ヶ村の領民のために一命を捨てる覚悟で立ち上がったのが月夜野の百姓茂左衛門である。茂左衛門は姓を杉木と言い義気に富んだ中流の百姓であった。天和元年(1681)正月、領主真田伊賀守の非行、領民の惨状をしたためた訴状を懐にひそかに江戸に上り、上野輪王寺宮から将軍家へ巧妙な方法で直訴に成功した。時の将軍(家綱)は取り調べの結果、罪状明確なので伊賀守は改易沼田城破却の運命となった。茂左衛門は本望を遂げたのを見届けたのでひそかに郷里に帰り妻に別れを告げ自首を決意して江戸へ向かうところを小袖坂で幕吏に捕らえられ江戸送りとなり、取調べの上所成敗となり天和2年12月5日月夜野竹の下河原で磔刑に処せられた。領民はその死をいたみ刑場あとに地蔵尊を建て供養を続けその遺徳をしのびきたが大正11年旧領地をはじめ各地の篤志家からの浄財によってここに茂左衛門を祀る千日堂が建立されたのである。
 茂左衛門地蔵尊大祭 春秋彼岸中日 平成7年6月吉日 
 茂左衛門地蔵尊千日堂運営委員会

 刑場跡
 千日堂の下、無料駐車場に「刑場跡」があります。


 嶽林寺
(上毛高原駅の裏手にある。千日堂から徒歩で小一時間かかります)

 嶽林寺は茂左衛門の菩提寺です。同寺には茂左衛門と妻の位牌が安置されています。
 茂左衛門の磔の彫刻が立っています。


「磔茂左衛門」像 関有雅作
  茂左衛門は月夜野の出生で、時の城主の施政に義憤を感じ、沼田領177ヶ村領民の為に一身を犠牲にして刑場に露と消えた義人である。この像は刑場の石積みに立てられた礫柱台上の茂左衛門で処刑を前にした最後のその姿は神々しいまでに輝き静かな表情をたたえている。彫刻化石有が氏は昭和11年群馬県利根郡新治村に生まれ昭和35年頃から数本のノミを持ち師を持たず独学で彫刻の道を修めた方である。鎌倉全美展にて神奈川新聞社賞、東京都美術館新構造展に於いて奨励賞等を受賞された。この像は昭和60年に作られた関氏の元に秘蔵されていたものであるが、この度供養の為茂左衛門の菩提寺である当山に奉納されたものである。平成11年10月 嶽林寺37世代


茂左衛門一代記(千日堂で無料で配布しています)
 茂左衛門一代記




パンジー⑨
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