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木曾三社神社・参拝 -6-

2014/ 02/ 13
                 
 木曾神社停車場 
 まだチンチン電車が通っていた頃にも、箱田の家に何日も泊りがけしていました。この時、耳を悪くし、伯父に連れられて、治療のため前橋の耳鼻科の先生のところに通ったときに、路面電車に乗ったことを覚えています。
 当時は「木曽神社停車場(旧道)」という名称でしたが、バス路線に変って「木曽神社入口(国道17号)」になり、いま、17号の信号の標識をみると「下箱田」になっています。

 木曾三社神社停車場・大正時代頃の写真
  ・大正時代頃の「木曾神社停車場」

 下箱田信号②
  ・国道17号線「下箱田信号」。前方に「城山」が見えます。・左手の利根川べりで、夏の風物詩ヤナ漁で名高い「坂東簗」が夏オープンしています。


 木曾神社道
 アクト坂に入ると、道の左端に三つの石が置かれています。その一つが「木曾神社道」の道標です。
 アクト坂に並行して、急斜面に沿って棚田が上にどんどん伸びています。
 (「木曾神社参道」は、いま、県道下箱田線となっています。)

アクト坂  棚田・アクト坂に並行して

木曾神社道③


 坂道と棚田は続きます。
 県道渋川大胡線に入る左手前に、木曾神社の林が見えてきます。

神社近くの棚田

 木曾神社入口の狛犬が出迎えます。

木曾神社狛犬②  木曾神社狛犬①


木曾神社参拝
 木曽三社神社 参拝のしおり
当社は、後鳥羽天皇の御代元暦元年(一一八四)の創立と伝えられる。延喜式内信濃筑摩郡の三座、岡田神社、沙田(いさごだ)神社、阿礼神社の三社は、木曽義仲があつく崇敬した神社であるが、元暦元年正月、義仲没落に及んで、その遺臣、今井、高梨、町田、小野沢、萩原、諸田、串淵等が神託を奉じて、この地に遷しまつったものである。
木曽神社の遷宮について次のような伝説がある。
木曽義仲の没後、その遺臣らは一時木曽の谷にいたが、頼朝の詮議が厳しいので、木曽は決して安全な隠れ場所ではなくなった。この時、木曽氏の信仰していた三社の神社の神官であった高梨南学院という人は、三夜続けて不思議な夢をみた。それは早くこの神を東の方の安全な地に遷せよという神託だった。そこで遺臣らが相談した結果、神体を七重の箱におさめて東国へと旅立つことになった。和田碓氷の峠を越えて利根川の辺までたどり着いた時、ある平和な村があった。そこに神をまつろうとすると土地の人が怪しんで「その箱は何だ。」と尋ねると、「只の箱だ。」とのみ答えた。今、その土地を箱田と言う。しかし、神の御告は更に今一度ここを立ち去るようにと下だった。そして、また人々は旅に出たが今度は半日にして利根川東岸の山中のある清い泉の所に着いた。ここで人々は一憩したが、その時、御神体の箱をとある石の上に降ろした。すると不思議なことに人々が再び出かけようとすると箱は石に固く着いてしまって動かなくなった。大騒ぎして持ちあげようとしたが無駄だった。ここにまつられたのが木曽神社である。今でも神社の前に高梨氏の石像と、御腰掛石とがある。遺臣たちはここに土着して四方に広がっていった。
爾来、今日に至るまで木曽一族の祈願所であるは勿論、所縁ある武将の崇敬もあつく、観応年間、管領上杉憲顕社外の田を寄進し、後、上杉謙信は武運長久の誓書を奉り、白井城主長尾氏も又厚く崇敬したという。徳川幕府となっても、領主の尊崇は変わらず、社地の御修復と称して、前橋城主は代々公費を以って営繕をしていたが、寛政元年六月、火災にあった時、領主松平氏は武州川越にあり移封の説もあった為、造営の沙汰も遷延してしまった。よって同六年、氏子信徒相謀って社殿を建築した。
文化七年、前領主酒井氏は播州姫路から重臣を遣わし、鉾一口、及び金若干を献じた。同十年、更に従四位下雅楽頭忠道は自筆の神号額その他を献納した。前橋城主松平氏も又崇敬厚く、入城の当時、たまたま拝殿再建の際であったので金二十両を寄進し、落成式の後、明治三年、従五位大和守直方社参して、弓矢を奉納し、続いて伯爵松平基則は信徒として弦料金若干を献じた。
同二十九年六月、県社に列せられた。
同三十一年九月、貞宮多喜子内親王殿下より幣帛料に掛物一幅を添え、木曽桧七株御下賜。
同三十四年八月、北白川宮能久親王妃殿下、成久王殿下、輝久王殿下及び二荒芳之伯御参拝、幣帛料金二千疋お納め、かつ社頭に若松一対お手植えになった。
同三十五年八月、有栖川宮威仁親王妃慰子殿下、戴仁親王妃実枝子殿下より幣帛料二千疋。
同三十六年、有栖川宮威仁殿下より幣帛料四千疋の御進納があった。
明治三十六年九月、社域に宮城遥拝所設置のことが明治天皇の叡聞に達し御内意を以て黒田待従を御差遣になり、更に三十九年十二月には神饌幣帛料供進指定となった。
大正十三年八月、山階宮菊暦王妃常子殿下御参拝、幣帛料一千疋御納めあり、かつ桧一対をお手植えになった。
昭和十七年六月、大東亜戦争御祈念のため、今上陛下より金二十円也御下賜あらせられた。
戦争終了後、昭和二十一年二月、法令改正により県社の社格改正され、神社本庁の所管となる。



 2014年2月10日、雪が残っている晴れた日の午後、木曾三社神社を訪れました。
 木曾三社神社鳥居 20140210
 ・社殿側から見た、神社入口方面。雪が積もった後に、足跡が見えません。







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