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父のこと  いきもの 鶏 兔 蚕  

2018/ 01/ 18
                 
 鶏小屋を、父は勤めていた会社の同僚のMさんから譲り受けて、わが家の庭の一隅に置きました。
 小諸に住んでいた時のことです。鶏小屋は父と私の二人でリヤカーで運んだのですが、途中の急斜面の下り坂道に難儀したのを今でも覚えています。

 鶏(白色レグホン)のエサ当番は、子どもたちが順番を決めてやっていました。
 チャボも飼っていた時もありました。
 産んだ卵は、私たちの食事の一品に加えられました。
 当時、卵を買うとなると、それなりのお値段でした。
 卵を産まなくなった鶏たちは、業者にひきとられました。(主に食肉用)
 父は、鶏を売ったお金は、子どもたちの貯金に回しました。

 小諸では、兔も飼いました。
 大きくなった兔たちは、業者に引き取られました。(主に食肉加工用)
 兔を売ったお金も、父は、私たち子どもの貯金箱に入れました。



 北橘に二度目に住んだ時は、父の一言もあって、養蚕もトライしてみました。
 ワンシーズンだけでしたが、私一人だけでの世話です。
 学校に出す作文のテーマとしても、恰好の「いきもの」でした。
 蚕は桑の葉しか食べません。本家の伯父にお赦しを頂いて、桑の葉を毎日摘み取りました。一日数回に分け、時間をみやりながら桑の葉を与えます。糞のあとしまつも日課の一つです。

 下の家(したんち)から頂戴したお蚕さまは、立派な大きな繭玉になりました。
 

 
                 
        

同窓会報  夏の甲子園 8回の裏

2017/ 05/ 06
                 
 二人ともに、同窓会報が届きます。
 相棒は都会、私は田舎出身です。

 
 息子の高校が、全国大会に出場するということで、父がわが母校に賛助をしました。
 当時も(今も)、高校野球の全国大会に、田舎の県立(普通科)高校(勿論都会の公立高校も)が出場するということは、そうそうある出来事ではありませんでした。
 とうの私は、母から転送してもらった賛助を募る封筒の中身は一応眼にはしましたけれど、手元不如意という気持ちが勝ったのかどうか、ただ単に熱心ではなかったのかどうか、今となっては思い出すすべもありませんが、要するに振り込みなどの手続きを何もしなかったのです。
 
 時代は前後しますが、父が出た県立高校(普通科)では、春の選抜大会に出場したチームが、その第一試合で投げたピッチャーが完全試合を成し遂げました。
 その投手は、その後、わが母校の先生となり、野球部の監督となり、甲子園出場に導きました。

 

『同窓会報』

 会報には、「通常総会・懇親会のお知らせ」、挨拶、特別寄稿、特集、母校だより、講演会、部活報告など、それに「決算」、「予算」などの報告が載っています。その「収支」を見ると「特別積立会計」という項が別に計上されています。
 夏の甲子園に初出場して以降、この「特別積立会計」の金額はどんどん増え続け、今は驚くほどの額となっています。
 ちょっと斜め読みしたところ、「支出の部・同窓会費一般会計へ」という記載が目につきました。頭に「1」がついた7ケタの数字でした。

 年会費を納める同窓生が少なくなっているのでしょうね。
 ちなみに同窓会費は年額2,000円です。
 来週月曜日になったら、駅前の郵便局に行って振り込み手続きをしようと思っています。






『甲子園の詩』

 初陣の花      阿久 悠


 記録として残る数字は空しい
 汗の匂いがない
 昂りの脈拍が聴こえない
 7対2の試合を
 波乱の熱闘として伝える術がない
 どちらが圧し どちらが耐え
 戦慄はどちらにあったか
 数字は語らない
 辛うじて展開の妙は読みとれても
 大観衆に沈黙を強いる緊張が甲子園を覆ったことを
 7対2の記録は物語らない
 年経ればただ乾いた数字としてのみ残る
 初陣 中央高校
 詩を書く男はそれを口惜しがる
 ドラマに満ちた7対2であったことを
 どうしても記したいと願う

 人々よ
 今 感動の詩人になれ
 その夏 その日 その試合
 そして
 その時 その一瞬
 誰が主役であったか
 何が慄えを呼び
 何が胸をえぐったか
 時間の経過とともに薄れる宿命の
 心の襞の小さな記録を
 色鮮やかに
 あらん限りの饒舌でとどめてほしい
 人々よ
 少年のドラマはこのようにして
 永遠のものにしたいじゃないか
 負けても悔いなしと言いたくない
 負けても悔いあり
 大いに価値ありと称えたい
 今日 みんなが詩人になった

       1987年8月8日  





高校名  1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
中央    0 0 0 0 2 0 0 0 0 2
PL学園  1 0 0 0 0 1 0 5 x 7

この年、PL学園が決勝で常総学院を5対2で退けて優勝。











                 
        

お墓参り

2017/ 03/ 20
                 
 国道17号線上武道路最後の工事区間、前橋市上細井町から国道17号線前橋市田口町南交差点までの3.5kmが完成し、3月19日上武道路が全面開通(40.5km)しました。

その起点から数キロメートル先、国道17号線からそれた高台にある、古屋の離れの東屋で私は生まれました。当時は村でしたが、平成大合併の今、渋川市になっています。

 上武道路を含めた、総延長70.0kmの熊谷渋川連絡道路の埼玉県側の起点は、鴻巣市箕田交差点です。
 ということもあり、今日のお墓参りに合わせ、全ルートを走行してみようかなとも思いながら、家を出ました。

 前橋市に入り、国道50号線とクロスした先から突然道路渋滞となりました。ナビの案内では道路工事のために上下線が一車線走行となっているための渋滞というアナウンスです。
 この渋滞がどれだけ長く続くのか見当がつかないということもあり、全ルート完走という思いを諦めることにしました。


 一端、上武道路を降りてスーパーマーケットで生花を買い求め、その後は上武道路を使わずに墓地に直行しました。

 やはり、春分の日のお昼前です。多くの人たちがお墓参りしていました。

 
 私にはふるさとといえる場所が、あちこちにあります。
 その一つの家に立ち寄りました。
 父が丹精込めて造作された庭は今もきちんと整っています。
 カタクリの花が咲いていました。

カタクリの花 2017年3月20日
 (カタクリの花)




きょうは、生誕の地には行きませんでした。

箱田の家 2017年3月20日
 (今、東屋に入る門扉は閉ざされています。
 茅葺だった母屋は、屋根を葺く職人もいなくなった昨今、写真のような姿となっています。
 正門は西口にあり、その門の左右には馬小屋と牛小屋がありました。塀に沿って味噌蔵や納屋などの建物ものこっています。)
 母屋をつないでいる渡り廊下が池を挟んで左右にある蔵を結んでいます。その四つの蔵の先にある東屋で私は生まれました。
  






                 
        

 節分 恵方巻き 立春

2017/ 02/ 02
                 
 豆撒きの歌の一つです。


  福は内 鬼は外
  鬼の目玉 ぶっつぶせ

  鬼は外 福は内
  鬼は外 福は内
  天打ち 地打ち 四方打ち

  この煎豆に芽の出るまで来んなよ

  人を使うても物もくれん
  隣のかかの面(つら)を見い




 2月3日は節分です。節分といえば、毎年決まった方角を向いて恵方巻きを食べる風習があります。 
 恵方というのは、 その年の幸せをつかさどる歳徳神がいるとされており、 縁起が良い方角です。
 今年の恵方は、「北北西やや右」です。
  恵方の方向は毎年変わるといっても、次の4つの方角の何れかになります。
  •東北東やや右(ほぼ東だけどわずかに北寄り)
  •西南西やや右(ほぼ西だけどわずかに南寄り)
  •南南東やや右(ほぼ南だけどわずかに東寄り)
  •北北西やや右(ほぼ北だけどわずかに西寄り)

恵方の4つの方角





 節分の翌日、今年は2月4日が立春です。
 
雨上がり光明るく春立つ日   中橋京子

文送る序文に春の立ちし事   水野良子













                 
        

とと姉ちゃん  ホットケーキ特集

2016/ 08/ 03
                 


 あの当時、とても頑丈そうでシンプルな冷蔵庫とオーブンが台所の一角を占めていました。
 冷蔵庫といっても「板氷」を台に入れて庫内を冷やすという類のものです。
 ということからすれば、オーブンも今の時代と比べようもないものでした。

 母が、沼田の街中までイースト菌を買い出しに出かけました。
 我が家の子どもたちに、手づくりのパンを食べさせるためです。
 村を通るバス便は、とても少なかった時代のことです。

 夕方、香ばしいパンを焼いた匂いが、家々を包み込んでいきます。
 ここは社宅だけで作られている小さな集落です。
 いつのまにか、近所の子どもたちが我が家の台所の入り口に集まっています。

 我が家の子ども三人のためのパン・・・でしたけれど、母は、ワイワイガヤガヤとおしゃべりして、出来上がりを一所懸命待っている子どもたちの人数を数えていました。
 
 焼きたてのパンの何ともいえない香りは今でも鮮明に覚えているのですが、このときのパンの味は覚えていないのです。

 それからまたしばらくして、母は我が家の子どもたちのために、パンをつくりました。
 今度も社宅の子どもたちが台所前にあっという間に集合しています。
 今度も母は、子どもたちの頭数をきちんと数えました。勿論、家の中にいた三人の子ども達も忘れていません。
 このときのパンの香ばしさと美味しさというものが、想坊の食いしん坊をハッキリと芽生えさせた瞬間でもありました。

 でもそれ以来、母はイースト菌を手に入れるために沼田の街まで出かけるということはありませんでした。
 母のつくったパンの味をかみしめたのは、生涯この一度だけとなりました。



 「とと姉ちゃん」の今週は、小麦料理特集「ホットケーキ」ですね。混ぜて焼くだけで作れる簡単料理・・・