FC2ブログ
        

わたしはムウ   -6-

2015/ 02/ 21
                 
 
 ともだち ②


 マアに会ったころ、ジョーと出会いました。
わたしはこのときもまだ犬どうしの挨拶の仕方というものを身につけていませんでした。マアのときと同じにただじっと相手の目を見つめているだけでした。
 ジョーの毛は白でした。
 

 それ以来、長いお付き合いが始まったのです。
 彼の家族は、オバアチャン、オトウサン、オカアサン、オネエサン、オニイサン、そしてジョーの6人家族です。

 オバチャンとオジチャンはことのほかジョーがお気に入りでした。なんといってもジョーはわたしのともだちであり、ジョーのオバアチャンをわたしが大好きであることを判っていましたから当然のことといえます。

 わたしはジョーのオバアチャンが大好きです。これから折に触れお話していこうと思います。後で知ったことですが、うちのオジチャン(想〈そら〉さん)のおとうさんと、ジョーのオバアチャンの生まれた年が同じだったということです。もしかしたらわたしの記憶違いか勘違いかということもあるかもしれませんが。

 ちょっとここで一言申し述べておきます。想さんのお父さんの誕生日は6月4日ですが、わたしが埼玉の家に住むことになったのも6月4日でした。偶然とはいえ、わたしが来た日の73年前の同日は、同じ水曜日だったよ。と、しばらく経ってからオジチャンが、わたしとオバチャンに教えてくれました。


⑥

                 
        

わたしはムウ   -5-

2015/ 02/ 20
                 
 ともだち ①

 わたしは友だち付き合いというものはどういうものか、一つも知りませんでした。
 オバチャンと近くの公園に散歩に行ったときです。
 高齢の男性に連れられてきた、賢く活発でにこやかな雰囲気を漂わせた犬がわたしに近づいてきました。こんにちはと何度もしっぽを振ります。わたしはただじっと相手の目を見つめて佇んでいるだけでした。
 埼玉に来て一日か二日経ったときで、そのときは犬どうしの挨拶の術(すべ)など知る由もありませんでした。
 その子の名前はマア。女の子でした。それ以来、おじいちゃんと一緒のマアに会うことがとても楽しみになりました。ここに来て初対面の彼女が、わたしにとって最初のともだちとなりました。
 わたしにとってこの素晴らしい出会いが、このあとたくさんの友だちが出来るきっかけとしてとても良い方向に導いてくれたのだなあと、今つくづくそう思っています。

⑤



                 
        

わたしはムウ   -4-

2015/ 02/ 19
                 
 神奈川・東京から埼玉へ ④

 
 もう少しだけ神奈川の家でのことを話しておきます。
 八百屋さんに引き取ってもらった最初の夜だけ、家の中に入れてもらうことができました。
かあさんのぬくもりが恋しい幼いわたしにとって、親元を離れた途端の冬の日々の戸外での生活はとても厳しかったことを覚えています。
 あともう一つ言い忘れていたことがあります。わたしは甲斐犬(かいけん)とシェパードのミックス犬です。
 虎毛は赤虎で母親の血を受け継ぎ、耳が長いところは父親似で、見目形の面影は父親と狐顔系の母親を髣髴とさせると、オバチャンが何かの折に言っていました。



≪「一筆啓上」甲斐犬の外見的特徴について: ・毛の色は虎毛です。赤虎毛、黒虎毛、その中間の虎毛の三つの色合いがあります。 ・尻尾は、巻尾と差尾の二つ。 ・顔は、狐顔と、狸顔に分けています。ムーの尻尾ですが、ふだんは差尾ですが、緊張したり獲物を見つけたりするとクルッと巻尾になります。シェパードに巻尾はありません。≫

④ムウシリーズ




                 
        

わたしはムウ   -3-

2015/ 02/ 18
                 
 神奈川・東京から埼玉へ ③


 私が埼玉に住むようになったその週末の休日に、神奈川からさやさんが無事を見届けにやってきました。
 両方の耳とも折れ曲がったまま、尻尾も垂れ下がったまま、まだら模様の毛の色と、三拍子そろって見てくれの悪い私に、さやさんがにこやかに、ムウ良かったね。と声をかけてくれました。
 さやさん、オバチャン(こうゆうさん)、オジチャン(想〈そら〉さん)、それにわたし(ムウ)の四人一緒の記念写真を撮っておけばよかったね。と、しばらく経ってから想さんが宏侑さんとわたしに話しかけたことがあります。あの時はこうすれば良かったね。と後付けでいうのがオジチャンの毎度の決まり文句のようでした。

 ご飯は、ラナ先生がすすめてくれた固形のドッグフードが一日三回出されます。来てからしばらくは、わたしはいたって食が細いようでいつもかなり残していました。牛乳は美味しかったので何杯もお代わりしました。たくさん牛乳を飲むので、水はほとんどといっていいほど飲みません。水道水はことのほか口にあいませんでした。

 毎日たくさん飲んだ牛乳のおかげもあったのでしょう、だんだんに元気になっていくことがわたし自身にも判りました。ラナ先生からは、牛乳はあまり飲ませすぎないように。というアドバイスがあったようですが、わたしがおねだりするとオバチャンはいつもお代わりをしてくれました。
 食べ物のことでは失敗談などあれこれありますので、おいおい述べることにします。


③コチョウラン
                 
        

わたしはムウ   -2-

2015/ 02/ 17
                 
 神奈川・東京から埼玉へ ②



 神奈川・東京でのことをちょっと触れておこうと思います。八王子のラナ先生のところで2週間過ごしました。先生の診断では、栄養失調が原因で片方の目の視力が失われているということでした。体重は6kgにもみたず、あと1週間も入院が遅れていたら命は危なかっただろうということでした。全身を毛で覆っているはずの体はほとんど地肌ばかりが目につき、みすぼらしいばかりの容姿になっていたのです。
 ちょっと申し添えさせていただきますと、はた目には、二つの目はいつもキラキラと輝いてみえるので、片方の目だけで見ているとはだれも気がつかないそうです。

 東京に隣接している神奈川の都市、多摩川の川向こうにさやさんが住んでいます。駅からさやさんの家までの通り道に、八百屋さんがあります。私はそこに住んでいました。髪が真っ白のおばあちゃんにとても可愛がられました。今でも白髪のご婦人をみると、「おばあちゃん !?」と思って、ついかけよってしまいます。

 さやさんはいつも八百屋さんの前を行き交いしてわたしにやさしく声をかけてくれます。わたしがどんどんやせ細っていく様を見続けて、あまりに不憫に思ったのでしょう。さやさんの妹に、ムウという名の犬がいるんだけれど、わが家はマンションで庭もないし、たくさんのネコが一緒に住んでいて部屋の中に入れることもできない、宏侑(こうゆう)さんのところは子どももいないし、新しい家族を迎えたら・・・と、そんな経緯があって、神奈川・東京から埼玉へ。ということになりました。
 さやさんのところのネコたちの主治医が八王子のラナ先生です。八王子には宏侑さんのもう一人の姉のゆうさんが住んでいます。
 わたしが八王子のラナ先生のところから埼玉に来るとき、平日ということもあり、さやさんは勤めの関係で来ることができず、八王子に住むゆうさんが車に乗せて連れてきてくれました。

 ムウという名前をそのまま受け入れた夫婦は、初めの頃は、さやさんの家から預かった犬として、さやさんをムウのおかあさんとして、宏侑さんはさやさんの妹だから、ムウとの間柄は叔母ちゃん(オバチャン)、宏侑さんの連れは叔父ちゃん(オジチャン)という、そんなところから三人での生活が始まりました。


コチョウラン②