FC2ブログ
        

安楽寺(吉見観音)三重塔 小雪が舞った朝

2019/ 02/ 14
                 
 国宝の東寺五重塔の高さは54.8メートルです。
 安楽寺の三重塔は、創建時16丈(約48メートル)の高さであったと記録されています。
 現在の、東寺五重塔は寛永21年(1644年)に再建されたもので、総高凡そ24メートルの安楽寺三重塔は明暦2年(1656年)に再建されました。

 埼玉県内には四つの三重塔を今に見ることができますが、県内最古の安楽寺三重塔は、県指定重要文化財に指定されています。

  1 安楽寺三重塔


 平成31年2月10日の安楽寺
 6

   2 安楽寺 寺紋

 3安楽寺 
 





「安楽寺(吉見観音)」 東松山むさしロータリークラブ公式サイトより
所在地・・・・比企郡吉見町御所378
指定・・・・・・県指定文化財(昭和28年)
建立年・・・・1656年頃(江戸時代 明暦2年頃)
建築様式・・和様式
構造形式・・3間3重塔婆・銅板葺
総高・・・・・・24メートル

 安楽寺(吉見観音)は坂東十一番札所、真言宗智山派の寺です。天平年間(729~749年)、行基によって草創されたと伝えられています。その後、大同元年(806年)坂上田村麿によって、吉見領の総鎮守とされました。
 平治の乱(1159年)後、源頼朝の弟、源範頼がこの地を領するようになり、16丈(約48メートル)の三重塔と25間(約45メートル)の四面の大講堂を建立しました。その後、天文年間(1532~55年)、北条氏康と上杉憲政との松山城合戦に際し、松山城の落城とともに、大伽藍をことごとく焼失してしまいました。
 現在の三重塔は、1656年(明暦2年)中興開山杲鏡(こうきょう)法印や、呆慶(こうけい)法印によって再建されたものです。さらに、昭和35年(1960年)には解体修理が行われました。
 吉見観音として親しまれている安楽寺は、今でも多くの参詣客で賑わっています。長い参道を抜け、石段を登ったところに元禄15年(1702年)に再建された仁王門があります。さらに石段を上りつめると、寛文元年(1661年)に再建された本堂があります。この本堂は江戸時代前期の建築様式を伝える貴重な遺構です。本堂の右側に寄り添うように建っているのが、県下最古の三重塔です。初層の内部には誕生釈迦像を安置し、伝統的な和様式で造られ、装飾を排し落ち着きが感じられる塔です。
 周囲の緑に溶け込んでいる仁王門、本堂、三重塔、そして鐘楼。江戸時代初期に建てられ、当時の様式をよく伝えている貴重な建物です。



                 
        

昭和 平成 新元号へ

2019/ 02/ 13
                 
 
 2月13日は、安岡正篤(やすおかまさひろ)の誕生日です。
 生誕から数えて121年(明治31年2月13日―昭和58年12月13日)となります。


 2月8日、政府は新元号選定にあたって、平成改元時の手続きを踏襲すると正式に決め、4月1日公布するとしました。
 「平成」の元号については、三つの時代の有識者から、それぞれ発案されています。
 昭和54年(1979年)、元号法の成立を受け、三名の有識者が新しい元号選定発案の任を委嘱されました。
 安岡正篤、宇野精一(東京大学名誉教授)、貝塚茂樹(京都大学名誉教授)です。
 このとき、安岡が考案し提言したのが、「平成」(※注)です。
 ときの総理大臣をはじめとして、歴代首相の多くが、安岡正篤の薫陶よろしきを得たということもあったのでしょうか、新しい御代の元号は「平成」という共通認識があったと、時代の背景に深いかかわりを持つ幾人かの人物が言葉を紡いでいます。

 この時点における改元の手続きは、正式には天皇崩御の着手が適切。国民の印象や縁起上でも問題がないこと。などの基本認識を政府は共有していました。
 昭和天皇崩御の前、昭和58年(1983年)に、安岡正篤が亡くなっています。
 縁起上、物故者の考案による新たな元号は受け容れることはない。という政府としてのあり方は、元号「平成」選定にあたって理の当然でもありました。


(※注:安岡正篤考案拠所の「平成」は、『書経』の「大禹謨(ダイウボ)」篇「地平天成」を典拠としています。
【地(チ)平(たいら)ぎ天(テン)成(な)り】
  帝(舜:シュン)が(臣下の禹:ウ)に言いました
  地平らぎ天成り、
     (今や洪水が治まって)国土も平静に自然(の運行)も順調であり、
  六府(リクフ)・三事(サンジ)允(まこと)に治(おさ)まり、
     (その結果)六府・三事も誠に(よく)治まり、
  萬世(バンセイ)永く頼るは、
     (これからのち)万世も永く頼る(ことができる)が、
  時(こ)れ乃(なんじ)の功なり。
     これは(まったく)なんじの功績である。

※※「地平天成」の四文字を使った記述は、他に、『春秋左氏伝』文公十八年の記述の中で、昔話として舜の功績を讃えている文章に記されており、そのほとんど同じ文章が、『史記』五帝本紀にも記述されています。)




 「平成から新たな元号の時代へ

  新元号選定に当たり何人かの有識者が委嘱されました。
 そのメンバーの中の一人の発案を政府が採りいれました。
 「平成」です。

 ひるがえって、まもなく平成が終わろうとしています。
 新しい元号は、天皇陛下ご在任の中、有識者懇談会などに原案を示し意見を聴取した後、閣議を以って決定されます。


 新元号の基準は、次の6項目を掲げています。
(1)国民の理想としてふさわしい
(2)漢字2文字
(3)書きやすい
(4)読みやすい
(5)過去に元号やおくり名として使用されていない
(6)俗用されていない


                 
        

藤代清治 光と影を生きる① 時代の証言者 西遊記を思い出しました。

2019/ 02/ 12
                 
 
 大正14年(1924年)生まれ、94歳の藤代清治さん。この4月で95歳になります。

 昭和34年(1959年)から昭和38年(1964年)6月までの間に中央公論社から刊行された『西遊記』(邱永漢著)には、表紙も含めて藤代清治さんの影絵(モノクロ)が用いられています。

 21-1 藤代清治 西遊記 実力狂時代の巻

 この『西遊記』の藤代清治影絵は、「藤代清治著作一覧」(※注)には掲載されていません。

 (※注:藤代清治著作一覧をみると、1997年『西遊記1~8』(カラー・中央公論社)の記載がありました。)
 

 2019年2月11日(月)から読売新聞朝刊に掲載が始まった「時代の証言者」。
 藤代清治の『光と影に生きる』。
~ ・・・ 絵を描く、影絵を作る、人形劇や影絵劇を上演する、花森安治さんが創刊した「暮らしの手帖」で影絵を連載し表紙も描きました。・・・ ~
と、述べています。

 その当時の絵はどんなタッチだったでしょうか。
 ほんの少しだけですけれど、手元にあるものの中からピックアップしてみました。

 フランスの女性作家、マルグリット・オードゥーの遺作小説『光ほのか』のダイジェスト版(「美しい暮らしの手帖」第1世紀第12号 1951年ダイジェスト/堀口大學 さしえ/藤代清治)に添えられています。
  貧しくも声の美しい少女の半生が描かれています。
 両親を亡くし、祖父と暮らす貧しい少女エグランティイヌ。犬のトゥウ坊が唯一の友だちでした。

 22 -1 藤代清治 「光ほのか」挿絵 少女エグランティイヌス 犬のトゥフ 

 

 こちらはカラー作品です。
 (挿絵を除き) 藤代清治さんの作品をみていつも思うのは、物語性を感じることです。
 半世紀前以前も、今もその思いは変わりません。

 23 藤代清治 暮らしの手帖

 


                 
        

リーズナブルな価格でヤマブシタケ5袋買いました。 効能・効果は 

2019/ 02/ 11
                 
 漢字で山伏茸と書く「ヤマブシタケ」。
 400年前の中国の書物「農政全書」にも出ているヤマブシタケ。
 中国宮廷料理の食材として珍重されたヤマブシタケ。
 ご存じのとおり、中国の四大山海珍味は、「フカヒレ」、「ナマコのいりこ」、「熊の掌」、そして「ヤマブシタケ」でしたね。

 
 「ヘリセノン」
 「B-D-グルカン」5種類
 「エリナシン」
 「SOD様物質」
 などの成分が含まれているヤマブシタケ。

 それらの成分には、どんな効能・効果があるのでしょうか。
 お浚いしてみました。
「免疫機能調整効果」
「生体恒常効果(ホメオスタシス)」
「活性酸素除去効果」
「抗酸化作用効果」
などが紹介されていました。


『ちくまのヤマブシタケ』
 ひところのお値段と比較すると、信じられないくらいの金額でスーパーマーケットに並んでいました。
 6つしか残っていなかったので、6つ全部買い物かごに入れようかなとも思ったのですが、一つだけ置いておきました。
 「JAながの」のマーク入り。『ちくまのヤマブシタケ』。
 長野県千曲市の産でした。

 とてもリーズナブルな金額になっていたことに、まだ驚きを隠せないでいます。



                 
        

遠山記念館 学芸員の説明は毎週日曜午後1時から

2019/ 02/ 10
                 
 
 遠山記念館の門を初めてくぐりました。

1 遠山記念館門

 

 毎週日曜日の午後1時から、学芸員の説明を聞くことができます。
 三脚を使わないこと、フラッシュを使わないことで、写真撮影ができます。
 定期路線バスの便もありますが、バス停、発着時間をきちんと調べておかないと、かなり難儀するように思いました。
 観光バスの駐車スペースも2台分あります。

 川島町には、ラーメン百名店を2年連続受けている「中華そば 四ツ葉」もあります。
 席数が16席と限られているため、お昼時の混雑は避けられません。(駐車スペースは10台)
 「そうま川島店」は、魚介料理、海鮮料理、うどん、和食(その他)とメニューが豊富ですし、席にもゆとり(椅子席と座席)があります。パーキングには48台駐車できます。


 「旧遠山家住宅」は、多様な和風意匠と伝統技術を集成した実業家の邸宅として、平成30年(2018年)、8月17日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。
 当時の金額で60万円、今の貨幣価値にしてアバウト30億円に相当するという建物を2年7か月を費やして、昭和11年(1936年)に完成しました。

  1-1 旧遠山家住宅玄関

 7 一本の木





 2月9日(土)から、3月17日(日)まで、コレクション名品選④と銘打って、「琳派と雛」が展示されています。


※写真を後程アップします。